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カンボジアクロマーマガジン42号

写すシリーズ
アンコールの蓮の花を写す
樋口 英夫 (ひぐち ひでお)

アンコールワットの濠に咲く蓮の花(写真集『Angkor Sacred Mountains of Kings』より)

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 ヒンドゥー教の神「ビシュヌ」を祀ったアンコールワットは、四方を大きな濠で囲まれている。この濠の北側部分で、 雨季(4月から9月)終了後間もない頃(だったと思う)、 蓮がピンク色の花を咲かせているのに気がついた。丸い大きな蓮の葉が水面全体に広がっていて、その淡い緑色の葉の上に、細い首を延ばした無数のピンク色の花が妖しく咲いていたのだ。夜明けから間もない時間だったから、あたりはまだ赤味を帯びた柔らかな光に包まれていて、幻想的な光景だった。

 

 濠の淵まで近寄ってみると、ピンクの花の間に浮き輪に乗った男の姿があった。「まるで極楽往生した人間が、浄土の蓮池で戯れているみたいだ」と嬉しくなってカメラを構えたが、じつは土地の人たちが蓮の花を摘んでいるのだった。その様子をしばらく眺めていると、作業を終えて戻ってきたひとりの男が、青い種がたくさん詰まった花托を差し出して「このまま種を抜き取って食べてみな」と身振りで伝えてくれた。味の記憶は失せてしまったが、苦みも渋みもなかったような気がする。

 

 アンコールはもともと蓮と因縁の深い都である。アンコールの王たちが信仰していたヒンドゥー教では、蓮を「神聖植物」としている。そのため、遺跡に彫られたヒンドゥー教の神々や女神や踊り子たちの中には、蓮の花を手にした姿のものがたくさんあるし、アンコールワットやアンコールトムの濠の水源になるクーレン山の河床にも巨大な蓮の花が彫られている。

 

 そうしたなかでもとくに面白いものが、バイヨン寺院にある浮彫だ。蓮の花の上に乗った水の妖精アプサラたちが、視線をわれわれに向けながら踊り狂っている。彼女たちの官能的な腰のひねりは、神話にあるように、男たちを誘惑している姿に違いない。王女が濠に浮かべた小舟の上から、蓮の花を摘んでいる様子も描かれている。これは不思議な浮彫で、細工はぜんぜん技巧を凝らしてはいない。それなのに両手に花を持った王女の仕草から、平和でのどかな宮廷の暮らしが伝わってくるし、朝の空気の清々しさすら感じられる。摘んだ蓮の花は、きっと祀ってある神仏に捧げられるのだろう。他にもまだ、胸まで水に浸かって蓮の花を摘むバラモン僧の姿など、いろいろ描かれている。

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蓮の花を摘む王女の浮彫(バイヨン寺院)


樋口 英夫 (ひぐち ひでお)

写真家。アンコール遺跡にかかわる著書に『アンコールワット旅の雑学ノート(ダイヤモンド社)』『チャンパ(めこん)』『風景のない国・チャンパ王国(平河出版)』『7日で巡るインドシナ半島の世界遺産(めこん)』がある。
アンコール・ナショナルミュージアムでオリジナルプリントが購入できる。
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