カンボジアクロマーマガジン25号
写すシリーズ
アンコール時代の戦の音を写す
樋口 英夫 (ひぐち ひでお)
アンコール軍の戦士の間に入って従軍する太鼓の奏者(バイヨンの回廊浮彫)
アンコールワットの第一回廊は、一周すると760メートルにもなる。この長大な石の壁一面に、細密画のように精緻な浮彫が施されている。参道から回廊へ足を踏み入れた瞬間、そこで目にする浮彫りは圧巻だ。古代インドの叙事詩『マハーバーラタ』や『ラーマーヤナ』のクライマックスが大画面で描かれている。そしてそれに続く王の肖像と従軍するアンコール軍の浮彫にも惹き付けられる。華麗な玉座についた王は、他を圧倒する迫力と、ヴィシュヌの化身に相応しい神々しさを漂わせている。足下の家臣になにか指示を出してるようだ。重々しく腕を上げた仕草は「出撃命令」かもしれない。その顔が向いた先に、武器を携えた軍隊の行進が数十メートルに渡って続いている。行進の中にバラモン僧の一団がいる。彼らも戦場に赴いて、王に勝利をもたらす祈祷を執り行うのだろう。バラモンたちは右手に握った鈴を顔の前に掲げている。いかにも振り鳴らしているようなその手元をクローズアップにして撮影していると、鈴の澄んだ音が「チリーン、チリーン」と本当に聴こえてくるようだった。
チャンパの末裔が執り行う祭の太鼓(ベトナム)
日本史の研究者のあいだでは「音の世界」にも関心が向いていて、絵画史料から歴史的な「音」が分析、読解されている。たとえば武士たちの合戦を描いた絵巻物にも歴史の「音」が潜んでいる。合戦の絵にはしばしば太鼓を叩く人物がいて、この太鼓を「攻め太鼓」という。大将が発する進退の命令を太鼓のリズムに置き換えて、瞬時に味方に伝えるのである。「攻め太鼓」は日本を襲ってきたモンゴル軍でも使われていた。『蒙古襲来絵詞』にはモンゴル軍の中で激しく太鼓を叩く人物が描かれている。「攻め太鼓」はバイヨンの回廊の浮彫にも見ることができる。チャンパ軍と戦うカンボジア軍の隊列の中に、天秤に担いだ太鼓を打ち鳴らす人物がいる。この太鼓の響きは、おおよそ見当がつく。チャンパの末裔が今もベトナムに暮していて、彼らが毎年執り行う祭りに於いても、同様の太鼓を叩いて行進しているからだ。
叙事詩『マハーバーラタ』には、戦争の掟(ルール)が記されている。掟は七項目あって、そのひとつに「太鼓や法螺を演奏する者たちに対しては、決して攻撃してはならぬ(『原典訳マハーバーラタ6』筑摩書房)」とある。アンコール軍とチャンパ軍の戦争でも、あるいは「攻め太鼓」を戦に用いた他のアジアの国々の戦争でも、太鼓の叩き手の命は保証されていたのかもしれない。だから日本の絵巻を見ても、モンゴル軍も含めて太鼓の叩き手全員が、鎧や兜などの防具を装着していないのだ。
バックナンバー
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