カンボジアクロマーマガジン24号
写すシリーズ
アンコールワットのガルーダを写す
樋口 英夫 (ひぐち ひでお)
アンコール時代には、王をヒンドゥー教の神の化身とみなす思想があった。アンコールワットの建立者として有名なスーリヤヴァルマン(2世)の場合には、ヴィシュヌの化身とみなされた。じつはアンコールの宮廷には特殊な呪文(マントラ)を世襲したバラモンが召し抱えられていたらしい。このバラモンの唱える呪文によってヴィシュヌは天界から降臨し、秘密の儀礼によって神の霊力が王の身体に取り込まれたのである。この秘儀を執り行う舞台がアンコールワットだった。
ビシュヌを背に乗せたガルーダ(第1回路北面)
アンコールワットの建築材料は主にラテライトと砂岩の大きなブロックが用いられている。これを積み上げて、最上壇に地上65メートルの高さの大塔を築いた。そして最上壇の基部(第三回廊基部)を取り巻くように、無数のガルーダの浮彫りが施された。神話によるとガルーダは、自分の背にヴィシュヌを乗せて天空を飛翔する神鳥だ。浮彫りになったガルーダもこの神話を連想させる。足を踏ん張って両腕を突き上げ、大塔を最上壇ごと頭上に持ち上げている。つまりガルーダたちはヴィシュヌが降臨した大塔を基壇ごと担ぎ、飛翔しているのである。設計者の意図が「アンコールワットは地上のものではない、天界にあるヴィシュヌの神殿と同じだ」と読み取れる。
アンコールワットの建設に費やされた歳月は30年にもなる。使った石材は全体で22万立方メートル。石材の総重量から労働者の数が推測され、工期を30年としても毎日2万5千人が働き続けたことになるという。これに敷地の開墾も含めると一体どれだけ大勢の人間が働いたのか。なにしろ敷地面積はサッカー場で273面分だ。しかし当時のインドシナ半島は極端に人口が少なかったから、万単位の労働力を30年も確保するのは至難のことだ。近隣の村人を強制労働させる「賦役」で賄いきれるものではない。強力な軍事力を持っていたスーリヤヴァルマンのことだから、戦利品のように対戦相手から働き手を連れてきたのだろう。
王の治世は40年近く続き、アンコールワットは在位中に完成をみた。下克上の激しかったアンコールだから、並みの王では完成前に失脚していただろう。興味深いのはアンコールワット完成後の大量の「失業者」の扱いだ。石のブロックを運ぶ見返りが日々の食事だとしたら、神殿完成後には大量の飢餓難民が生まれるはずだ。こうした失業者を一体どう処理したのだろう。スーリヤヴァルマンの治世には異常な数の神殿が建設されている。アンコールワット以外にもトマノン、プレアピトゥー、プノムシソル、プノムサンダク、チャウサイテヴォダ、バンテアイサムレイ、ベンメリア、ワットプー、プレアヴィヒアなど。ひょっとしたらこれらの建設はアンコールワット完成後の失業対策事業かもしれない。
大塔を基壇ごと打ち上げるガルーダ
しかしこれも完成すればまた同じだ。あとは彼らを兵士に雇うしか手はない。隣国に戦争を仕掛け、彼らをそこに派兵すればとりあえずは解決する。だが即席の兵士に勝ち目があるだろうか。スーリヤヴァルマンは、アンコールの版図をインドシナ半島全域に広めた史上最強の王として知られているが、治世の最後の方ではなぜか負けてばかりだ。チャンパに負け、ベトナムにも負けた。その負け戦で命を失った兵士たちが、アンコールワットで石を運んでいた者たちだとしたら、なにか寂しいものがある。
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