カンボジアクロマーマガジン21号
写すシリーズ
続・バイヨンの浮き彫りを写す
樋口 英夫 (ひぐち ひでお)
[左]魚の腹に子供がいる [右]手の上に乗るサティヤヴァティー
これを見つけたときは「ぬっぬっ!」となった。バイヨンでは奇妙な浮彫りをいくつも目にしていたが、魚の腹に子供の入った図像は別格だった。川で遊んでいて飲み込まれたのだろうか?――。魚の周囲の描写からすると、この不幸な事故を王に報告している場面らしい。王は短剣をとりだし「魚の腹を開け!」と命じたようだ。とにかく子供は無事救出され、大人の手の中にいる。ところが目を凝らして子供を見ると二人は男女別人だ。手の中の子の胸は膨らんでいて豪華なネックレスで飾られている。一体これはなんだ?解読不能の奇妙な図像だった。
この浮彫りを撮影してから「謎解き」がずっと頭にこびりついていた。ところが最近、インドの叙事詩『マハーバーラタ(三一書房)』を読んでいてその謎が解けた。以下「」内は本からの引用。
「王は森を歩きながら、ギリカーの貌(かお)を思い出し、彼女が側にいないのを嘆いた。(略)ギリカーの躰が無性に欲しくなった。王の欲望は極限に達し、灼熱のペニスから真っ白な精液が噴水のように発射され、空中に飛散した。『隼(はやぶさ)よ、この精液をギリカーのもとに運んでいけ(略)』直ぐ側にいた隼に声をかけた」
ところが隼は爪から精液を川に落としてしまう。ちょうどその下にはバラモンの呪文で魚にされた天女アプサラがいて、その精液をぱくりと飲み込んだ。
「やがてその魚は妊娠し、臨月になった頃、漁師の網にかかり岸辺に引き上げられた。岸に打ち上げられたとたん魚の腹から人間の赤ん坊が二人飛び出し、漁師を仰天させた。一人は男子、一人は女子であった。漁師は稀に見る瑞兆と信じ、早速二人をウパリチャラ王のもとに持参した」
この女の子はサティヤヴァティーと名付けられ、やがて彼女の子孫が繁栄し『マハーバーラタ』の主役の王家となる。つまりアンコールワットに描かれた有名な『マハーバーラタ』の浮彫りのなかで、大戦争を演じている王子たちにとっては、バイヨンの浮彫りの手の上の少女が曾祖母というわけだ。
バイヨン第2回廊北面の奇妙な浮彫り
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