カンボジアクロマーマガジン36号
写すシリーズ
四面の顔を写す
樋口 英夫 (ひぐち ひでお)
川家康が始めた朱印船貿易は、東南アジアの物産を大量に日本へもたらした。そのため貴族層が独占していた舶来品が庶民にまで普及して、江戸時代の文化が華やいだ。この朱印船貿易の主要な渡航先がカンボジアだった。幕府発給の交易許可証(朱印状)を携行した朱印船は、南シナ海を南下してインドシナ半島先端からメコン川を遡り、プノンペンの岸辺に投錨した。陸には王立市場とランドマークの仏塔がそびえ、支流のトンレサップ川沿いには外国人居留地が点在した。中国人、マレー人、ジャワ人、ラオス人、ポルトガル人、ベトナム人、そして「日本人町」もあった。「日本人は7、80家族あり、彼らは追放人だから二度と本国に戻れない」と当時のオランダ商館員が記録している。日本人町には朱印船の物資を調達する日本人の他に、切支丹弾圧を逃れた日本人亡命家族も暮らしていたようだ。
朱印船の投錨地(港)は岸から離れた水深の深いところになる。積み荷は小舟で搬送した。この投錨地点を400年経った今、 プノンペン市民は「チャトモック」と呼ぶ。これは800年前のアンコール王ジャヤヴァルマンの時代についていた名前の残響で、アンコール時代にこの地点は「チャトルムーク」と呼ばれていた。アンコール遺跡に有名なバイヨン寺院がある。地上45メートルの大塔とそれを取り巻く47基の小塔からなっていて、すべての塔の先端に巨大な四面の顔が彫られている。これを当時の宮廷バラモンはサンスクリット語で「チャトルムーク」と呼んだ。チャトルは4、ムークは顔。この四面の顔のイメージが朱印船の投錨地点にも重ねられたのだ。プノンペンの岸辺からメコン川を眺めてみると、ちょうど目の前でメコン川は支流のトンレサップ川とV字状に合流し、すぐまたV字を逆さにしたように分流する。X字状になった四本の川の神秘性が、バイヨン寺院の「四面の顔」を喚起させ、神聖視されたのだ。
そんないきさつがのちに伝説を生みだすことになる。「チャトモックには宝物が沈んでいる」というのだが、当然その正体は不明だ。しかし、思い当たることがひとつある。雨期が終了するとチャトモックでは奇妙な現象が起こる。ほんの2、3日に限ったことだが、小アジに似た魚が、まるで川底から湧きあがるように大量に出現するのである。この魚は「トレイリエル」と呼ばれ、カンボジアの国民食として知られる塩辛「プラホック」の極上の材料だ。この魚が現れる一瞬のチャンスを狙って、チャトモックには市民の船が100隻以上も集結し、投網を投げ入れる。捕った魚はそのまま川岸に広げ、塩をまぶすと塩辛の仕込みは完了だ。チャトモック伝説の宝物とは、このトレイリエルのことかもしれない。
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