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カンボジアクロマーマガジン37号

The Golden Age Of Khmer Rock 永遠の60-70sクメールロック

[取材・文] 小林 真之輔  [制作] 岡 克哉


Khmer_rock_cd1時は1960年代―――――――

音楽、映画にファッションと、ポップカルチャー花ざかり。中でも主役はロックだった!50年代にアメリカで生まれたロックは、ビートルズなどイギリス勢も出そろい黄金時代へ。その熱風は海を渡り、日本でのグループサウンズをはじめ、ここカンボジアにも旋風を巻き起こした。ロックとカンボジアの歌謡曲・伝統音楽が出会い生まれた「クメールロック」は、独立後の平和なカンボジアを象徴するかのように咲き乱れ、大人から子どもまで夢中になった。華々しい60年代のカンボジアへ、クメールロック・ア・ゴーゴー!

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© Alain Daniel

1953-63 東洋のパリにてクメールロック誕生

 フランス統治時代にギターなどの楽器と、ポップスやR&Bなどが伝わってきていたカンボジア。最初のロックバンド誕生は、53年の独立から数年後。シハヌーク前国王当地時代にまでさかのぼる。プノンペンが東洋のパリと称えられるほど美しく、当時を生きた人々が「平和で良かった」と口をそろえるこの時代。アメリカではエルビス・プレスリーなどによってロックが産声を上げ、少しずつカンボジアにも入ってきた。
 シハヌーク前国王は自ら映画を撮り、自作曲を歌う文化人でもあり、大規模な音楽コンテストを開催。そこからカンボジア初のロックバンドとされる「バクセイ・チャム・クロン」(写真)や、国立ラジオ局で初めて曲が放送されたバンド「アプサラ」が生まれた。63年ごろには全土で100以上のロックバンドが出現。カンボジアに、ロック旋風が巻き起こった。

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©King Norodom Sihanouk Collection, Bophana Center Archives

1963-70 クメールロックの花ざかり

 60年からのベトナム戦争で、アメリカ軍が南ベトナムに駐留。AFN(世界各地の米軍向けラジオ番組)の電波が入るようになり、カンボジア人の耳にも本場のロックが飛び込んできた。そこから、カンボジアに元々ある伝統音楽やダンス音楽とロックが時間をかけてブレンド・熟成。唯一無二の「クメールロック」が誕生した。
 シン・シサモット、ロ・セレイソティア、パン・ロンの三大ロック・レジェンドをはじめ、個性豊かなクメールロック&ポップス歌手が続々デビュー。彼らはレコードをはじめ、空港前やリバーサイドの富裕層向けクラブでも活躍。男性はタイトなスーツ、女性はミニスカートやドレスで繰り出し、夜通しツイスト、ゴーゴー、クメールロックを踊り明かした。庶民も1台のラジオを家族全員で聴いたり、ラジオ局前のスピーカーまで出かけて歌謡番組に熱中。クメールロックはここに花ざかりを迎えた。しかし幸せな時代は長くは続かず、暗い足音が少しずつ近づいてきていた。

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©Christine Spengler / Sygma / Corbis

© “The Golden Voice” directed by Gregory Cahill

1970-75 悪夢のはじまり クメールロックの死

 ベトナム戦争も佳境に入った70年。シハヌーク前国王の外遊中に親米派のロン・ノルがクーデターを決行し政権を奪取。ベトコンへの支援が疑われるベトナム系住民を迫害したほか、彼らを掃討するためのアメリカ軍と南ベトナム軍によるカンボジア侵攻を容認し、国は混乱状態に。反ロン・ノル派としてのクメール・ルージュの勢力拡大を招き、カンボジアは内戦に突入した。そして75年、クメールルージュがプノンペンを陥落。ポルポトによる悪夢の時代が幕を開ける。
 人々は地方での強制労働に追い立てられ、プノンペンはさながらゴーストタウンに。知識人ほか、ミュージシャンを含む文化人も、華やかだったプノンペンの香りを残すものとして次々に処刑。クメールロック自体も、悪しきアメリカ資本主義と反体制の象徴として弾圧された。黄金時代のレコードやマスターテープは焼却され、ほぼ残っていない。平和な時代が訪れるまで、クメールロックは枯れて暗い土のなか、長い眠りについた。

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