カンボジアクロマーマガジンPP20号
ライムを絞ると、薄く切った牛肉の色が少しずつ変わっていく。
私がカンボジア料理の中で一番好きなのはプリアサイコーだ。薄切りの牛肉をライムなどのたっぷりの柑橘果汁でしめ、そこにレモングラスや香草、生野菜をどさっと混ぜる。魚醤や砂糖を加え、酸っぱい、辛い、甘いが一皿の中で入り乱れる。なにより生の牛肉に貪ることが、日本では経験できないであろう背徳感というスパイスとなり、より美味しさを増す。
カンボジア版のソムタム、ボック・ロホン(青パパイヤサラダ)も好きだ。
セントラルマーケット付近に住んでいた時、家の近くに毎日行列を作るボック・ロホン屋があった。日が落ち始める頃、おばちゃんの仕事が始まる。すりこぎ棒で、具材となる青パパイヤや沢ガニ、プラホック(魚の発酵ペースト)をすり鉢の中で叩き続けている彼女の手は休むことを知らない。本当に腱鞘炎になるのではないかと心配になってしまうほどの動きだ。けれど、そんな忙しい中でも私が店の前を通ると、「ハーイ!」と片手をあげ、挨拶してくれる。おばちゃんのボック・ロホンが美味しい理由は味付けはもちろんのこと、買いに来る客ひとりひとりを大切にしている彼女の優しさもこれまた重要なスパイスと言えよう。
久しぶりにおばちゃんのボック・ロホンを口いっぱいに頬張りたくなってきた。「ハル ティッティッ(辛さはちょっとで)」と伝えても、それでも口の中がヒリヒリする辛さ。けれど今夜は冷蔵庫にある、きれいな緑色をした生胡椒でなにか一品作ろう。カンボジア料理は全く私を飽きさせない。
森 水菜 もり・みな (作家)
1993年熊本県阿蘇市生まれ。車椅子ユーザー。2023年に指定難病の遺伝性ジストニアと診断されるも、単独で海外を旅し続ける傍ら、作家として文章を綴り続ける。小説「熟した果実」熊日文学賞受賞 他。書くことが生きがい。
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