カンボジアクロマーマガジン8号
逆境を糧に-内戦時代を生きた成功者たち-
ホー・バンディ氏 (Ho Vandy)
1970年生まれの経営者。少年期を難民として生き、クメールルージュの教育機関や難民キャンプにて語学を修学し、教師・通訳士として活動した後に、旅行会社「ワールド・エキスプレス社」を設立。カンボジア国内最大手の旅行会社に成長させ、観光協会の会長や顧問を歴任。
生い立ちと子供時代の私について
私は70年にクラチェ州の交易商の子として生まれました。父方の先祖は19世紀末に山東省から移り住んだ商人で、代々カンボジアで商売をしてきたそうです。父には妻が二人いて、私は後妻の子で、母と妹と3人で暮らしていました。小さい頃の記憶はあまり残っていませんが、当時はベトナム戦争中で、カンボジア北東部はホーチミンルートの一路になっており、かなり政情が不安定でした。父はこういった戦線への物資の販売を生業にし、私たちを養っていました。
74年になると、父は忽然と姿を消しました。当初は母は何らかの理由で母の実家のあるタケオ州にいるのだと思い、祖母の家を訪れましたが、そこに父はいませんでした。結局母は私一人を祖母に預けて残し、妹と一緒にクラチェへ戻り、そのまま帰らぬ人となりました。その時、クラチェではアメリカによるベトコン掃討のための空爆が行われ、私の家のあった一角が爆撃されたことを後に知りました。
ポルポト時代の私について
75年にポルポトが実権を握ると、5歳だった私は祖母と離別され、タケオ州から沿岸の方に移されました。そこで私は子供センターに入れられ、畑仕をする傍ら、共産主義思想の教育を受け、そこで読み書きを覚えました。およそ3年8か月の間、少年だった私はそこで生活を送りました。79年になり、解放軍がプノンペンを奪還すると、私はクメールルージュの部隊と共に西方へと移動するように命じられ、牛車に乗って移動しました。その道中、どうやったのか祖母が私を探し、連れ出してくれたのです。その部隊はその後解放軍と交戦して全滅したそうです。
難民時代の私について
クメールルージュから解放された私は、その後しばらくタケオにいましたが、80年に祖母と一緒にプノンペンに移り、仏具を売る商売をはじめ、学校にも通うことができました。私は学校に行く傍ら、水を運んだり、家畜の世話をしたりして過ごしていましたが、14歳の時に友達に誘われ、プノンペンを出てシェムリアップに移住することにしました。その時祖母にはきちんと説明せずに出たので、本当に悪いことをしたと思います。私たちは電車に乗ってシソポンまで行きましたが、そこでソンサン派の兵士に捕まり、タイ国境にあるサイト2難民キャンプに入れられました。
難民キャンプではタイ語を学びました。一時期はタイ人兵士の養子として引き取られ、バンコクに3年間住んだこともありました。養父は私をムエタイの選手に育てようとし、私も最初は少し乗り気でしたが、いざリングに上がるとなると怖くなってしまい、結局難民キャンプに戻りました。私はキャンプで高校に通い電気工学を学んだり、ボーイスカウト活動などを行いました。
労働者、会社経営者へとなった私
91年にはスイスのNGOから初めてのタイ語の教師の仕事をもらい、またその傍ら英語を勉強し、94年には国連人道支援部隊で通訳士として働きました。こうして私は難民から一人の労働者へとなれたわけです。
その後私はプノンペンに戻り祖母と再会しました。祖母は私が居なくなったあの日から、毎日仏様に無事を祈っていたそうです。私は年老いた祖母を支えるべく、プノンペンで働き始めました。
私はそこで職を転々とすることになりました。TV局、通信会社、大使館、航空会社などで勤めましたが、どれも天職と感じられず、専ら夕方以降に英語の家庭教師として働き収入を得ました。最終的に旅行会社に就職した時点で、旅行業が好きになりました。また同じ業界に勤めていた女性と結婚し、99年二人で旅行会社「ワールド・エキスプレス」を設立しました。最初のうちは航空券の発券業務を中心に行っていましたが、国連で働いていた時の知人伝いで、西洋人やタイ人のカンボジア国内ツアーを貰うようになり、彼らの紹介のおかげで各国の提携依頼が急増しました。00年代からはカンボジア人の国内・海外旅行の販売も伸び、会社は今日まで順調に成長しています。私自身は会社が軌道に乗ったころから大学に通い学位を取得し、また観光協会の会長やアドバイザーを勤めました。
私の人生の教訓
自分が親と共に生活できなかった境遇にあったので、国内の孤児院や児童養護施設への寄付を継続的に行っています。彼らに私の生き方を教え、不幸な境遇にあっても挫けず、弱きを守れる人になってもらいたいと思っています。
私が難民からここまで成長してこれたのは、時間を無駄にしなかったからだと思います。色々挑戦してみて向いてないと思ったら諦めるのもいいでしょう。欲張らないで一つ一つに集中してやれば、必ず好きなことが見つかり、それに真剣に取り組めば成果が出るはずです。そしていつでも一人で生きているわけではないという事を忘れてはいけません。家族や友人、同僚を思い、信頼し、常にきれいな心で向き合えば、次第に皆が自分を助けてくれることに気が付くでしょう。
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