ホーム 過去のマガジン記事 いせきを護る人たち: 第八回(最終回) 現場担当者の声 ニム・ソティーブン氏

カンボジアクロマーマガジン45号

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第八回(最終回) 現場担当者の声 ニム・ソティーブン氏

 

シェムリアップに生まれる

 

ニム・ソティーブン(以下、ティーブン)はシェムリアップに生まれ、小中高校時代までをこの遺跡の町で過ごした。82年頃親戚に連れられて、初めてアンコールワットへ行った記憶があるという。遺跡建物内部には入れなかったようだ。そのときの貴重な写真が残されており、写真には高欄に腰掛ける当人が写っている。ポルポト時代が終わった直後、上智大学の石澤良昭教授が80年にアンコールワットを調査した少し後のことであった。

 

上智大学との出逢い

 

高校卒業後は大学進学のため90年にプノンペンに移った。王立プノンペン芸術大学の考古学部に入学し翌年運命的な出逢いがあった。91年から上智大学が本格的に開始した大学での集中講義を受講することが出来たのだ。ここで石澤教授の講義を受け感化された。勤勉で優秀な学生であり、英語や仏語といった語学にも長けていた。96年に卒業するまでの間、上智大学の研修生に選抜されプノンペンでの集中講義に加えて、シェムリアップでの現場研修を受けた。現場はバンテアイクデイやアンコールワット西参道であった。これは石澤教授が率いる上智大学アンコール遺跡国際調査団として、春・夏・冬などの日本の夏休み期間を利用して、日本から各分野の専門家が手弁当で現地に赴き学生達を指導したものだ。日本人から遺跡について、またその調査や保全について具体的な現場を通じて基礎を学んだ。

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日本留学・博士号取得

 

大学卒業後は文化芸術省に配属された。アメリカのNGO職員も経験した後、98年に上智大学アジア人材養成研究センター(旧称:アンコール研修所)の考古学専門家(常勤)となった。好機到来し翌年には日本政府より奨学金を得て日本への留学を果たした。得意な語学の才能を活かし日本語をマスターし、指導教官石澤の下で苦学の末13年に博士号を取得した。論文タイトルは”Successive Change of Location of the Khmer Capitol from the 15th to 17th century”である。現在では大学や私塾でクメール語を講義している。

後進指導の夢

 

近年は小学生や遺跡近隣の住民を対象とする文化遺産教育や、学生研修プログラムのバンテアイクデイ遺跡考古学発掘現場などで主導的役割を果たし、後進を厳しく指導している。91年の上智大学との出逢いが、その後の人生を結果的に決めることになった。今後はさらなる研究者への道を歩み、将来のカンボジア考古学を牽引する優秀な後進育成を目指している。かつての日本人指導者達が繰り返して発した言葉が、当人の言葉として学生らに語られる姿は、時に感動すら覚える。頑張れ、ティーブン!

 

ニム・ソティーブン氏

 1973年カンボジア王国シェムリアップ州生まれ。1991年王立プノンペン芸術大学考古学部入学。同年より上智大学アンコール遺跡国際調査団による同大学での集中講義を受講。1996年大学卒業。1999年より上智大学(日本)へ留学。2002年修士課程修了。2005年博士課程満期退学。2006年に結婚し8才の娘がいる。2013年上智大学より博士号授与。
*2016年5月24日、東京にてティーブン氏に取材したデータに基づく。筆者とは1997年以来の旧知の仲。

 

三輪悟(みわ・さとる)

1974年東京生まれ。1997年よりアンコール遺跡国際調査団に参加。1999年日本大学大学院修士課程(建築学専攻)修了。現在、上智大学アジア人材養成研究センター現地責任者。

 

上智大学アジア人材養成研究センター

上智大学の石澤良昭教授が所長を務める研究機関。『カンボジアの文化復興』と題する報告書を1989年より年度毎に刊行している。「カンボジア人による、カンボジアのための、カンボジアの遺跡保存修復」をモットーとし、当初より一貫してカンボジア人の人材養成の重要性を説き、継続的に活動を展開している。

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三輪悟(みわ・さとる)

1974年東京生まれ。1997年よりアンコール遺跡国際調査団に参加し、カンボジアを訪れる。1999年日本大学大学院修士課程(建築学専攻)修了。同年よりシェムリアップ駐在を始める。現在、上智大学アジア人材養成研究センター現地責任者。

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