ホーム 過去のマガジン記事 いせきを護る人たち: 第一回 現場担当者の声 チュエン・ブティー氏

カンボジアクロマーマガジン31号

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第一回 現場担当者の声 チュエン・ブティー氏

 

生い立ち、日本との出会い

 ブティー氏はシェムリアップの町の少し南の村に生まれ育った。アンコールワットを初めて見たのは小学校の先生に連れられ草刈をしに行った1988年。89年より95年までの7年間、父親とともにトンレサープの湖上で過ごし魚を採り家計の足しとした。その後漁業だけでは生活が苦しいことから、親の勧めもあり95年より町のホテルでガードマンの仕事をはじめた。ホテルに宿泊する日本からの旅行者と話をする機会に恵まれ、親切で優しい日本人に惹かれるも、つたない英語での会話は長くは続かなかった。そこで同年より日本語の勉強を始めた。96年より日本語能力を請われて上智大学の事務所で仕事を始めた。当初は建設間もない上智大学のオフィス敷地の庭仕事が中心であった。後に事務手伝いをはじめ、車の運転を覚え、また考古学発掘調査に参加しながら遺跡や考古学を現場で学んだ。2000年には初めて日本へ行く機会を得て9ヶ月間ほど日本語研修を受けた。2001年にはバンテアイクデイでの274体の仏像発見に立ち会った。また2005年、2006年と短期研修ながら日本を再訪し、京都、奈良、白川郷、日光、伊勢神宮などを巡り、都合3度の来日経験の中で文化遺産のあり方を学んできた。

 

町と村を繋ぐ希少種

 調査研究や人材養成など遺跡保護の仕事に従事する専門家は、通常プノンペンの大学で高等教育を受けている。しかし都会で生まれ育った専門家は、遺跡保護作業従事者の大半を占める村人に対する理解と配慮に欠くという傾向も、同時に一般に持ち合わせる。その点ブティー氏は異例の存在である。貧しい家に生まれ育ち、森や湖で漁業を手伝いながら育った。上智大学の現場仕事を通じて知識と経験を積み重ね、いつしか大卒の専門家以上に遺跡とその周辺事情を理解するようになった。何より村人の心を掴むことが上手で、村人から慕われている。これこそが実は遺跡での仕事に必要不可欠な素養と言える。町と村をつなぐ能力を持つ希少種と言っていい。

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将来の夢

 ブティー氏は「これまで日本の専門家から習得した技術を、今後若い世代に伝えていきたい」という。20年近く遺跡を見続けている彼は、変化を敏感に肌で感じている。90年代には一日を通して数えるほどしか訪問者の来なかったバンテアイクデイには、いつしかカンボジア人や日本人が多く訪れるようになった。一方で昔は見かけなかったゴミが遺跡の各所に捨てられている姿を目にして心を痛めている。ブティー氏の様な若手カンボジア人の高い意識が遺跡の将来を左右すると思われ、今後の活躍に期待したい。

 

 

チュエン・ブティー

1976年シェムリアップ生まれ。1996年より上智大学アジア人材養成研究センター勤務。2001年バンテアイクデイでの274体の仏像発見に立ち会う。バンテアイクデイ考古学発掘調査に参加し、後進の育成に力を入れる。

 

三輪悟(みわ・さとる)

1974年東京生まれ。1997年よりカンボジアを訪れアンコール遺跡国際調査団に参加。1999年日本大学大学院修士課程(建築学専攻)修了。現在、上智大学アジア人材養成研究センター現地責任者。

 

上智大学アジア人材養成研究センター

上智大学の石澤良昭教授が所長を務める研究機関。1989年よりバンテアイクデイ遺跡での学術調査研究を始める。「カンボジア人による、カンボジアのための、カンボジアの遺跡保存修復」をモットーとし、当初より一貫してカンボジア人の人材養成の重要性を説き、継続的に活動を展開している。1996年に現地のオフィスを建設、開所した。

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三輪悟(みわ・さとる)

1974年東京生まれ。1997年よりアンコール遺跡国際調査団に参加し、カンボジアを訪れる。1999年日本大学大学院修士課程(建築学専攻)修了。同年よりシェムリアップ駐在を始める。現在、上智大学アジア人材養成研究センター現地責任者。

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