カンボジアクロマーマガジン37号
いせきを護る人たち
第四回 現場担当者の声 ハウ・トイ氏
三輪悟(みわ・さとる)
第四回 現場担当者の声 ハウ・トイ氏
ポルポト時代から上智大学に出会うまで
シェムリアップで生まれ育ったトイは、小学生だった頃ポルポト時代を経験した。85年から89年までバッタンバンの飲み屋で会計の仕事をした。90年にシェムリアップに戻り警察官になり、93年からはアンコール保存事務所の警備を担当した。時を同じくして上智大学はアンコール保存事務所内で石工の技術研修を行っていた。指導に当たっていた日本人の石工棟梁の目にとまり、トイは96年から石工研修を受けるようになった。
NHKプロジェクトXに出演する
96年から参加したトイはみるみる頭角を現し、石工頭となった。97年頃から場所をアンコール・ワット内の森に移し研修が続けられた。99年暮れからはアンコール・ワット西参道の本格的な修復工事が始まり、しばしば激しく口論しながらも石工頭として現場で働く約60名を牽引した。気性は激しいものの、細やかな気遣いのできる、手先の器用な男で、カンボジア人としては類稀な能力と意志の強さを持っていた。01年11月20日にはNHKプロジェクトX「アンコール・ワットに誓う師弟の絆」が放送され出演している。石の技術指導を担当した日本人棟梁とカンボジア人石工トイがどのように心を通わせ、技を受け継いでいくのかをまとめたストーリーであった。07年暮れに第一工区が完成した。
アンコール・ワット西参道第二工区修復着工を前に
8年からは西参道で働いていた石工たちの多くは、アンコール地域の各遺跡修復現場で石工として活躍している。どの修復現場へ行っても見知る顔に出会えることは、これまでの上智大学による人材養成の成果をダイレクトに感じ嬉しく思った。しかしながらトイはその後家庭事情もあり、トンレサープ湖やクラチエ州を転々とし石の仕事を離れていた。
15年より上智大学はカンボジア政府アプサラ機構と共にアンコール・ワット西参道の修復工事を再開する。併せてトイはまたシェムリアップに戻って来た。「若者たちに石の削り方、積み方を教え、次世代の石工を育てたい」と夢を語る。
気づけばトイも50歳になった。職人として指導者として、心技一体となり最も充実するのは今後10年間ではないだろうか。アンコール・ワットの保存修復を支える類稀なる技量を持つ男である。いずれ「プロジェクトX(続編)」を作る時が来る。崇高な理想を持ち続ける勇気あるカンボジア人がいればこそ、遺跡の未来は明るい。「人材」こそ「宝」と言える。期待して、共に歩みたい。
ハウ・トイ
1965年シェムリアップ生まれ。生家はトンレサープ湖の魚場を管理していた。10歳でポルポト時代を体験し、サムラオンで肥料製作を担当して過ごす。79年にシェムリアップに戻り、80年よりポーランカー寺院やダムナック寺院にある小学校へ通う。87年に結婚し、3男1女。96年より2007年まで上智大学チームに入り石工頭を務める。余談ながら長男は奨学生としてプノンペンで医学を学び、本年晴れて卒業予定。父親としての顔も立派に果たしている。
三輪悟(みわ・さとる)
1974年東京生まれ。1997年よりアンコール遺跡国際調査団に参加。1999年日本大学大学院修士課程(建築学専攻)修了。現在、上智大学アジア人材養成研究センター現地責任者。
上智大学アジア人材養成研究センター
上智大学の石澤良昭教授が所長を務める研究機関。『カンボジアの文化復興』と題する報告書を1984年より年度毎に刊行している。「カンボジア人による、カンボジアのための、カンボジアの遺跡保存修復」をモットーとし、当初より一貫してカンボジア人の人材養成の重要性を説き、継続的に活動を展開している。
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