ホーム 過去のマガジン記事 いせきを護る人たち: 第二回 現場担当者の声 マオ・ソックニー氏

カンボジアクロマーマガジン33号

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第二回 現場担当者の声 マオ・ソックニー氏

「遺跡に恋する」まで

 ソックニー氏はプノンペンに生まれ育った。初めてアンコールワットを見たのは80年頃で、父親に連れられ遺跡へ薪を取りに行った時だという。90年に王立芸術大学の建築学部に入学し、丁度上智大学アンコール遺跡国際調査団(以下、調査団と呼ぶ)が91年から始めた集中講義を受け、石澤良昭教授(上智大学)ほか各種専門家の講義を受けた。それが契機となり94年から調査団の研修生としてアンコール(シェムリアップ)に毎年通うようになった。

 この時を振り返りソックニー氏は「上智大の研修を通じて遺跡に恋してしまったんです」と言い切る。97年に芸大を卒業すると同時に文化芸術省に配属された。そして翌年98年より調査団の常勤職員(建築専門家)として雇用され、シェムリアップに移り住んだ。

 

文化芸術省所属、アプサラ機構勤務

 

 丁度この頃、調査団はアンコールワット西参道の修復に取り掛かるべく調査を進めていた。99年の暮れには修復工事が本格的に始まった。未経験の実務ではあったが日本の石職人や大学の先生方に支えられて夢中で取り組んだ。

 01年には神奈川県の技術研修員に選抜され、10ヶ月間ほど山本理顕設計工場で建築CAD研修を受けた。帰国後は調査団に戻り、再び現場を担当し07年に第一工区が完成するまで現地専門家のリーダーを務めた。

 同年11月よりアプサラ機構に雇用され、今度はアンコール地域全般の遺跡保全と修復を担当するようになった。

 東メボン、プリアカーン、バンテアイクデイ、アンコールトムなど各遺跡で彼の仕事の跡を見つけることが出来る。

 11年の大雨で大崩壊したアンコールトムの城壁では今ソックニー氏による大規模な修復プロジェクトが進行中である(写真・上)。タイ国境に程近いバンテアイチュマール遺跡でも南参道、東面のレリーフ壁他において本格的な修復工事に取り組んでいる

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次世代に託す夢

 

平日はアンコール遺跡で、週末はバンテアイチュマール遺跡の現場(写真・上)で忙しく過ごす彼は「人の人生の短さを考えれば、次世代につなぐ事こそが大切」と自分の言葉で語るまでに成長した。

「これからのアンコール遺跡修復では、7割程度は古代の技術を用いた修復をしたい。カンボジアでは内戦で人材が失われたが、今は多くの外国人専門家に恵まれ、学ぶチャンスがある。アンコールの修復について世界にもっと知ってもらいたい。そして、自分自身は今後更に多くを学び、身につけた知識と経験を次世代にしっかりと引き渡したい。」と抱負を語る。

 現場での経験に裏付けられた自信に満ちた言葉だった。

 

 

マオ・ソックニー

1969年プノンペン生まれ。1997年王立プノンペン芸術大学卒業。1998年よりカンボジア文化芸術省アンコール保存事務所に所属。2007年よりアプサラ機構職員。アンコール地域を始め、ソムボープレイクック、バンテアイチュマール、バッタンバン州の各遺跡の保守管理の最前線に立つ遺跡修復の中堅技術者。

 

三輪悟(みわ・さとる)

1974年東京生まれ。1997年よりアンコール遺跡国際調査団に参加。1999年日本大学大学院修士課程(建築学専攻)修了。現在、上智大学アジア人材養成研究センター現地責任者。

 

上智大学アジア人材養成研究センター

上智大学の石澤良昭教授が所長を務める研究機関。『カンボジアの文化復興』と題する報告書を1984年より年度毎に刊行している。「カンボジア人による、カンボジアのための、カンボジアの遺跡保存修復」をモットーとし、当初より一貫してカンボジア人の人材養成の重要性を説き、継続的に活動を展開している。

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三輪悟(みわ・さとる)

1974年東京生まれ。1997年よりアンコール遺跡国際調査団に参加し、カンボジアを訪れる。1999年日本大学大学院修士課程(建築学専攻)修了。同年よりシェムリアップ駐在を始める。現在、上智大学アジア人材養成研究センター現地責任者。

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