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カンボジアクロマーマガジン35号

冒険シリーズ
国境をめぐる冒険:第6回
下川裕治(しもかわ・ゆうじ)

カンボジアはタイ、ラオス、ベトナムと国境を接している。外国人でも越境可能ないくつかのポイントがある。今回は前回に続き、プノンペンからメコン川を遡り、ラオスに入国するルート。──。
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プノンペンを出航するボートに乗って、メコン川を北上した。クラティエに1泊。さらに北上し、ストゥントレンに着いた。
 メコン川に沿った静かな街だった。川に近いゲストハウスに1泊した。
 ひとつの噂があった。ストゥントレンの宿に泊まると、警察がやってきて、ラオスに出国するための書類にサインさせられるというものだった。カンボジア語の書類で内容はわからないという。そこには当然、手数料も発生する。
 「通常は越境できないが、この書類にサインすればなんとかなる」
 その種の話だった。アジアの国境では珍しいことではなかった。国境という場にはひとつのパワーバランスがある。辺境までやってきた外国人は弱者だった。パスポートに『出国』というスタンプを捺してもらいたいために、警察が仕かける毒も飲まなくてはならないのだ。
 僕は幸運だったのだろうか。その夜、部屋には誰もやってこなかった。
 翌朝6時。メコン川に沿った石段を降りた。4艘ほどの船が浮かんでいた。そのうちの1艘がラオス国境まで行くという。ぱらぱらと乗客が集まってきた。10人ほどになった。そのなかにはふたりの僧もいた。
 ボートは朝日を受けたメコン川に出た。ここから北上をはじめる。
 カンボジアとラオスの国境付近にコーンの滝があった。アジア有数の規模を誇る滝だった。僕はこの滝から、メコン川はひと筋の流れになってカンボジア平原をくだっていくものだと思っていた。
 ところがストゥントレンを離れた船が進むメコン川が、いくつにも分かれはじめた。まるでデルタ地帯に分け入っていくような気分だった。流れが分散化されるから、川幅は狭くなる。しかし目に入る川岸は、中洲なのか川岸なのか判別すらできなくなった。
 ひとりの男が舳先に立った。川のなかをのぞき込むようにして、右、左と合図を送る。船頭はその指示を頼りに、深いところを探るようにして遡上していく。川のなかに立てられた水深柱もしばしば目にした。
 そんなエリアでも、客はひとり、またひとりと船を降りていく。家ひとつ見えない森が続く一帯だった。その先に人が住む家があるのだろうが、その気配がまったく漂ってこないのだ。
 4時間ほどがすぎた。僕以外の乗客はラオスに帰る母と子、そしてふたりの僧侶になってしまった。
さらに船は北上していく。何本かに分かれたメコンの流れは、やがてひとつになっていった。気がつくと、周囲を山に囲まれた流れになっていた。メコン川が大きく曲がり、斜面につくられた畑が目に入ってきた。その上方には小屋がある。乗客がパスポートにスタンプを捺すしぐさで教えてくれた。斜面の中腹にある小屋はイミグレーションだった。
 無事に出国することができた。隣の小屋で9ドルを払わされた。それがなんの金なのか。なにもわからなかった。   
(おわり)


下川裕治(しもかわ・ゆうじ)

1954年生まれ。旅行作家。アジア、沖縄に関する著作が多い。近著に『世界最悪の鉄道旅行ユーラシア横断2万キロ』(新潮文庫)、『「生きずらい日本人」を捨てる』(光文社新書)。最新刊は『不思議列車がアジアを走る』(双葉文庫)
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