カンボジアクロマーマガジン30号
カンボジアで[フランス]に出会う プチ・フランスをめぐる旅
フレンチ・インドシナ―。19世紀末から80余年の間、フランスに統治されていたカンボジア。今もその影響は色濃く残り、街にはコロニアル建築が点在し、フレンチレストランが軒を連ねる。フランスによる集中的な都市開発が行われた首都プノンペン、アンコール観光に沸いたシェムリアップ。2つの都市にスポットを当て、カンボジアで出会える[フランス]を紹介。さあ、フランスをめぐる旅に出かけよう。
プノンペン ―「東洋のパリ」と謳われた都 ―
カンボジアがフランス保護領となった1863年。その3年後に、首都はウドンからプノンペンに移された。のどかな街であったプノンペンだが、1890年頃よりフランス総督ユイン・ドゥ・ベアヌヴィルによる大規模で急速な都市開発が行われ、その姿は大きく変貌した。25,000人だった人口は約10年で2倍に膨れ上がり、うち約400人がフランス人入植者だったという。アール・ヌーボーやアール・デコなど当時流行したデザインを取り入れた「コロニアル建築」も多数建てられ、大通りや街路樹といったフランス風の街並みも整備。1920年代、プノンペンは「東洋のパリ」と呼ばれるインドシナ有数の美しい都市となった。
シェムリアップ ―フロンティア観光に沸いた街 ―
ヨーロッパで旅行ブームが起こった20世紀初頭。アンリ・ムーオがアンコールワットを「発見」してから約半世紀、アンコール遺跡群にもその波は押し寄せていた。拠点となったシェムリアップでは、街の美化活動や植樹を積極的に行い、観光都市として整備を進めた。仏領インドシナの都市計画では、領土内に5つのホテル建設計画が持ち上がっており、そのひとつがシェムリアップのグランドホテル(現ラッフルズ)であった。グランドホテルは建築家ジョージ・ゴースリューにより場所が決められ、ホテル東を走る大通りは現在も「アンコールワット通り」と呼ばれる。1936年にはチャールズ・チャップリンも訪問。年間約3,400人の観光客が訪れたという。