【 日本 】カンボジア料理店経営こーさんのうち経営、フリースクール支援 平野 曜子(ひらの ようこ)
カンボジアに 看護大学を卒業し看護師になった。人の命にかかわる仕事である。一つ一つきちんとやらなければならず、注意力と責任感が必要となる職場であった。翌年、休暇を利用し海外旅行に行くことになった。友人の希望もあり、ベトナ […]
カンボジアに 看護大学を卒業し看護師になった。人の命にかかわる仕事である。一つ一つきちんとやらなければならず、注意力と責任感が必要となる職場であった。翌年、休暇を利用し海外旅行に行くことになった。友人の希望もあり、ベトナ […]
日本で 社会人になる前から途上国に関することがやりたかった。しかし、NPOの活動は盛んではなく、海外支援と言えば、国連か青年海外協力隊でなければ、途上国で活動する機会はほとんどない時代であった。 20歳で短大を卒業し、証 […]
遊びほうけていた学生時代 学生時代は殆どの時間を遊びに費やしていた。気の合った仲間とクラブや飲み屋に行き、連日飲み歩いていた。こんな楽しい生活がずっと続けばいい、自分たちだけではなく世界中にこんな仲間ができればいいのに。 […]
幼少期から大人に 物心ついた頃、日本舞踊をやっている友達がいた。自分もやりたいと親に頼み、6年間踊る歓びを味わった。以降、憧れの職業は舞台女優、吟遊詩人、親が望んでいた学校の先生、そして芸術家。漠然とそんな夢を見つつも、 […]
日本でのライフ 人生向き不向きより前向きに行動する。子供の頃から、思い立ったら我慢ができず、すぐに飛び出していく性格だった。そのため、周りからは鉄砲玉と呼ばれていた。 19歳の頃、アメリカの若者たちがアフリカに井戸を掘り […]
カンボジアに 2002年5月、自衛隊を定年退官し、その4日後にはカンボジアに到着していた。自分の経験を活かし、東京に本部をもつ地雷撤去団体の現地副代表としてカンボジアで不発弾処理活動の立ち上げを行うことになった。現地では […]
日本時代 小学生の頃は学級委員や生徒会長として人前に立つことが多かった。みんなを楽しませ、笑わせることが好きであった。高校入学後にはテレビの世界に憧れた。なにか少し目立つ世界で活躍できればと思いだしていた。 大学に入学し […]
日本から海外駐在に 大学時代は、英語研究部(ESS)に入部していた。政治や社会問題をテーマとして選び、みんなでディスカッションやディベートを行っていた。議論をするためには、まず実際にそのテーマを深く勉強する。そうしなけれ […]
狭い部屋から世界の海に 1995年、阪神大震災があった年に大学を卒業した。学生時代はずっと予備校の先生として働きながら勉強をしていた。卒業後すぐに親の反対を押しきって、14歳年上の学校の先生と結婚した。まだまだ若かった。 […]
