カンボジアクロマーマガジン26号
ちょいと気になるNGO探訪
第13回 : セダック
クロマー編集部
メコン水系とトンレサップ水系を内包するカンボジア王国。そこに住むクメール人は、タイ北東の山間部に住む狩猟採集民族が、水稲を行うためにカンボジア平 原に下ってきたのが起源だといわれている。それから扶南、真臘、アンコール王朝、暗黒時代、植民地時代と、いつの時代においてもこの地の主産業は農業で あった。
1950年の仏領インドシナからの独立後のカンボジアも、米の一大生産地であり、余剰分を国外に輸出するなど比較的安定した国であった。しかし、60年代 後半に入ると次第に影が落ち始める。ベトナム戦争の戦火が飛び火し、当時北ベトナムを支援していたカンボジアはアメリカと国交を断絶。その後米軍 から空爆を受けるようになり、数十万人の農民が死に、東部の農地は焼け野原となった。さらに70年代には内戦へと突入し、カンボジアは今まで輸出していた 米を、輸入する立場となってしまう。国内の広大な農地が地雷原と化し、ポルポト政権下では250万人以上も国民が虐殺されたり、餓死したといわれている。
この時点で、近代までに築きあげてきたカンボジアの農業インフラは完全に崩壊した。故にポルポト政権後の80年代も、米の生産量は内戦前の水準に及ばず、ようやく改善し始めたのは90年代後半の話である。
CEDAC(カンボジア農業開発研修センター)は農家の発展と農民の組織化(相互扶助型)を目標に掲げたローカルNGOだ。創立者は、ドイツのライプツィ ヒ大学で農業博士号を取得したカンボジア人、ヤン・セン・コマ氏である。コマ氏は66年タケオ州生まれ。高校卒業後、奨学生としてドイツへ渡り農業を学ん だ。帰国後、2年間日本国際ボランティアセンター(JVC)カンボジア事務所に勤務するが、崩壊していたカンボジア農業の復興を目指し、97年フランスの NGOのサポートを受けてCEDACを創立した。現在は国内各州に支所を持つ巨大組織に発展したが、スターティングメンバーはわずか7人。活動はカンダール州にある小さな村を支援することから始まった。
当時農家は技術者不足や農地の荒廃に苦しんでおり、自分達が飢えないので精一杯で、何よりも不安な空気に満ちていた。そんな中、職員達は村々を回り「農家 でも豊かな暮らしができる。道は自身で切り開ける。」と励まし、各地で農業技術セミナーを開催し続けた。地道な活動は着々と根付いていき、農村内で知識や 技術が浸透していった。また志を持つリーダーも育ち、活動はカンボジア全土に広がっていった。
現在、CEDACの活動は、国内約4800村、14万戸まで拡大し、農民は知識や技術を身につけ、収入も安定方向にある。また効率的な農業が可能になったことで、労働時間が減少。その結果、子供たちが学校に通えるようになるなど、着実な成果を見せている。
最近ではCEDAC主導の農家サミットを定期的に開催しており、毎回全国の村から100名以上が参加し、農家同士の情報交換が行われている。こういった試 みにより、普段接点の無い地方農家同士が、互いに刺激を受け合い、結果良い競争を生み出した。農業教育も進んで若者達が専門的な農業訓練を受けられるよう になり、次世代の農業の担い手も着々と育まれている。さらに農夫が語り部となるラジオ番組の放送も開始。農家のありのままの声が聞けると、今や農業業界で人気番組となった。
昨年、こうした一連の活動が評価され、コマ氏はアジアのノーベル賞とも呼ばれる「ラモン・マグサイサイ賞」を受賞した。
今後のCEDACの目標は、2022年までにカンボジア全土50万戸以上の農家を支援することだ。それは、農家の生活水準を底上げし、彼らが健康的な生活 を送れるようになることであり、最終的には、農業が「稼げる仕事」として認識され、子供たちに受け継がれていくことでもある。
観光業や製造業が発展する今日においても、農業がカンボジア最大の産業であることに変わりはない。CEDACはこれからもこの国において、大きな役割を担っていくだろう。
セダックCEDAC
Street 257, No.119, Sangkat Teuk La-ak I, Khan Toul Kok, Phnom PenhTel: 023-880916
Fax: 023-885146
URL: www.cedac.org.kh
E-Mail: cedacinfo[アットマーク]cedac.org.kh
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