ホーム 過去のマガジン記事 カンボジア映画、いまむかし: 第二回 : クメール・ルージュ期

カンボジアクロマーマガジン43号

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「オリンピック・スタジアムに集うクメール・ルージュ幹部たち」
©Cambodian Cinema Department Collection / Bophana Center

 華やかに栄えたカンボジア映画の黄金期は、1975年のクメール・ルージュによる首都掌握によってその幕を閉じる。
 新政権は、芸術・娯楽としての映画の製作・上映を禁止し、映画製作者や俳優は虐殺の対象となった。黄金期の作品もそのほとんどが処分され、制作技術、機材、そして映画文化そのものが映画人もろとも抹消される結果となった。以降、民主カンプチア政権下において、メディアとしての映画は、クメール・ルージュ率いる新国家と革命の必然性を喧伝するプロパガンダのための媒体として利用されることとなる。
 プロパガンダ映画の量産が推奨されたものの、クメール・ルージュ幹部内には制作の技術がなかったため、文化大革命で同種の映画制作に長けていた同盟国、中国による主導で撮影が行われた。内容は田畑や工場で働く人びと、海外要人のカンボジア訪問やクメール・ルージュ幹部の外遊、ロン・ノル政権との闘いでの勝利の再現などで、国内各地での党集会で上映され、鑑賞者には拍手や笑顔が強制された。これらのプロパガンダ映画はクメール・ルージュの正統性を国際社会にアピールする材料として海外にも積極的に輸出された。
 クメール・ルージュによる文化遺産の意図的な破壊、そしてその後も続く戦乱によって、現存していたカンボジア映画の約9割が永久に失われたと推定されている。国外への避難などで死を免れた監督、製作者、技術者、俳優は少ない。クメール・ルージュ期のプロパガンダ映画については、ボパナセンターのデータベースで80余(2016年現在)の作品を視聴することができる。


荒井和美

東京での映画配給会社勤務を経て2014年よりカンボジア在住。現在ボパナ視聴覚リソースセンター勤務。
ボパナ視聴覚リソースセンター

映画などのカンボジアの視聴覚資料を国内外から収集、デジタル保存、一般公開する施設。映画制作者の養成、アートイベントや映画祭の開催等広く活動する。


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