ホーム 新マガジン記事 住めばカンボジア: 【住めばカンボジア】加藤 寛彬

カンボジアクロマーマガジンREP4号

■カンボジアに初めてきたのはいつですか?

2017年の5月です。大学時代の同級生と一緒に旅行で訪れました。

■実際に住みだしたのはいつでしょうか?

2023年の8月です。日本から家族4人で引っ越してきました。

■どうしてカンボジアで働くことになったのですか?

日本で得た経験と技術を活かす場所として、もともと東南アジアに興味がありました。

カンボジアで一番の観光地であるシェムリアップには多くの現地の人たちと観光客が集まっています。

一方で、都市の規模を考えると医療体制が未熟で非常に貧弱であるという大きなギャップを埋めることにやりがいを感じたからです。

■今の仕事はどういったお仕事ですか?

シェムリアップのアンコール共生病院で医師として働いています。

自分の専門領域として眼科の診療を行っていて、日本のクリニックと遜色ない検査環境が整えられています。

検査・診察の結果、必要な患者さんには手術加療も提供しています。

また一般的な内科診察や救急対応を行っており、ホテルに診察に伺うホテルコールの対応などにも参加しています。

病院の医療チーム 患者に寄り添い日々奮闘中

■前はどんな仕事、何をしていましたか?

内科や救急分野の研修後、日本の基幹病院で眼科医として働いていました。

眼科の中でも網膜の手術を専門にしているので、網膜剥離や眼球破裂など、緊急性のある症例の手術を主に執刀していました。

また手術教育に興味があり、眼科研修医の白内障手術指導も担当していました。

深夜までやっていた数々の緊急手術や、後輩医師の手術のリカバリー経験のおかげで、こちらで一人で手術を始めるときにも自信を持って動じずに執刀することができました。

尊敬する先輩方や仲のいい同僚・後輩たちと日本の病院で過ごした時間は、カンボジアでも私の支えになっていると思います。なにより私に長く手術を指導し、多くの手術を任せてくれた恩師からは、人を育てることの大切さを教えていただき、現在の自分の原動力になっています。

■どうしてそれをやろうと思ったのですか?

シェムリアップには現状で3名の眼科医しかおらず、州全体で100万人をこえる人口都市としては眼科医の数は非常に少ないです。(ちなみに日本では人口100万人に対して100人の眼科医がいます。)

これは明らかに眼科医が不足している環境で、行える手術の種類も不十分です。網膜剥離や眼球破裂など、緊急手術が必要な患者さんは陸路で6~7時間かけてプノンペンに移動して手術を受けるしかないのです。その間にも病状はどんどん悪化してしまいます。

そこで網膜の手術を専門にしている自分がシェムリアップに来ることで、網膜の専門的な診察や手術を受けることができる環境を作れれば、プリヴェンタブル ブラインドネス(防ぐことのできた失明)を減らせると考えて決意しました。

■今の仕事での楽しいことは何ですか?

院外のボランティア活動として、病院のスタッフと一緒にシェムリアップの小学校や中学校で視力検査・眼科検診を継続的に行っています。

そこで会う子供たちの笑顔はとても純粋で、活動のたびに癒されています!

■今の仕事での苦労話などあれば。

僕が病院に来た時に、手術に使用するメインの機械が故障していて、カンボジア国内には修理できる場所がありませんでした。

一時帰国したときに日本から必要部品をスーツケースに忍ばせて、機械を分解して修理することにしました。まさか自分で手術マシンの修理を行う日が来るとは思っていませんでした。

精密な医療機器を前に修理作業に取り組む

■今後の展開は何ですか?

地元の子供たちの眼科検診を地道にやっていますが、私達の活動だけでは州内の学校を回り切るのは当然不可能です。

カンボジアでは田舎に行っても親世代のスマホ保有率は非常に高いので、スマホで視力測定を行うアプリをカンボジアでリリースする準備を進めています。少しでも予防医学としての視力検査が根付くことを願っています。

お名前:加藤 寛彬(KATO HIROAKII)

医師

職場:アンコール共生病院

出身:東京都

年齢:36歳

趣 味 : サーフィン、スキー(どちらもカンボジアではできません)
ハイボール(これはできます)

座右の銘 : 日々鍛錬

【アンコール共生病院】


バックナンバー

facebookいいね!ファンリスト

クロマーマガジン

素敵なカンボジアに出会う小旅行へ―The trip to encounters unknown cambodia