カンボジアクロマーマガジン12号
スバエク・トム-シエムリアプの村に伝わる影絵芝居-
演者たちが大事にする「クルー」の存在
スバエク・トムを演じるときには、物語に入る前に「ソンペア・クルー」の儀式を行います。ソンペアは「合掌して敬意を表す」、「クルー」は師匠という意味ですが、実際に芝居を教えてくれている師匠にとどまらず、先祖代々の師匠の魂や芸能を司る神をも意味します。そうした大きな存在に対して敬意を表すための儀式です。
まずスクリーンの前に、クルーを表す聖仙と、ノリエイ神、アイソー神(ヒンドゥー教のヴィシュヌ神とシヴァ神です)の人形を立てかけます。バナナの木と葉で作った柱状の供え物、聖水、バナナ、お米、線香とろうそくなどを用意します。音楽が奏でられ、演者たちは跪いてクルーに対し手を合わせ、真摯に演じることを誓い、いい演技ができるよう見守ってくださいと願います。そしてこの場にいる演者にも観客にも幸せだけがありますようにと願うのです。ソンペア・クルーの儀式はとても大事なもので、絶対に省くことはできません。この儀式をしてこそのスバエク・トムと言ってもよいのです。 クルーと神々の人形、供物を並べ、祈りの準備をする
また、アンタチットが死ぬ場面では、演技をいったん中断し、豚の頭や鶏、果物や料理などたくさんの供え物を用意します。自分には罪もないのに死ぬ運命を定められたアンタチットの心を、語り部はゆっくりと慰め、その魂を神に託すという儀式を執り行います。スバエク・トムは、高僧など地位のあるひとが亡くなった後に行われる大規模な火葬式で演じられるものでしたが、それはこうした演技のクライマックスと、故人の安らかな成仏を重ねたのだとも考えられます。
内戦前、そして現在の一座の人々
ではここで、シエムリアプ州でスバエク・トムの伝承を担ってきた人たちのことも少し。1920年代から60年代の終わりまでが、シエムリアプの一座がもっとも活躍できたときだったようです。当時スバエク・トムの一座はひとつしかなく、州内はもちろんバッタンバンや他の地域でも大きな火葬式があれば呼ばれ、ときに牛車で、ときに車で荷物を運び上演に向かったそうです。海外からの観光客向けにアンコールワット前で上演したり、土産ものとして影絵人形もずいぶん売れたとか。1969年には一座の何人かはマレーシアでのフェスティバルに招かれもしたのです。ところが、1970年のロン・ノル将軍によるクーデターで社会は混乱しはじめ、シエムリアプでは祭事や仏教行事をやれる状況ではなくなります。その後のポルポト時代、シエムリアプの一座の人々も村を離れさせられ、その間に影絵人形も消失してしまいました。
この後、一座が海外からの援助を得て復活したのは1997年のことです。若いころマレーシア公演に参加したティ・チアンはすでに80歳近くなっていましたが、息子や孫、近所の青年たちを集めて練習をつけ、上演ができるまでにしました。何とかすべてのエピソードができるようになった2000年、ティ・チアンは亡くなりました。まだ教え切れなかった多くのことがあったはずですが、あとは彼の教えを思い出しながら若者たちが自分で考えてゆくしかありません。現在ティ・チアンの一座は、彼の孫のチアン・ソパーンが指揮をとり、年配の演者とも協力しながら10~20代の若者を中心に活動を続けています。 シエムリアプ州、サラコンサエン村の一座の看板
影絵を見るときの心得とか
影絵芝居を見るときどこに注目したらいいですか、と聞かれることがあります。登場人物は多くて見分けがつきにくいし、語りも日常語ではないのでカンボジア人にさえ少々わかりにくいものです。ここは深く考えず、炎の明かりの中を行き来するシルエットの動きを眺めながら、音楽と語りの響きに身をまかせても。太鼓の音を聞きつけた村人が三三五五集まり、芝居に飽きた子どもたちが寝転がったり、走りまわったり(ちょっとうるさかったりするけれど)、観衆を目当てに屋台が出たり。
スバエク・トムは観客を始めいろんなものを巻き込んでひとつの空間を作り出します。あたりの暗い木々の影に精霊がいて芝居を見下ろしている気配を感じることがあるかもしれません。月が輝いているのは、この場を照らしてくれているのかもと思えたりもします。その中で、家族や友人が健康でいる幸せを思ったり、あるいは亡くなった人を思い出したり・・・そうして上演が終わったときに、何かいいものみたようなそんな気分になれたら、それが影絵を見たことになるのではないかと思います。 ココナツの殻と樹脂を固めたものを燃やし、大きな炎をつくる
福富 友子(ふくとみ ともこ)
日本獣医畜産大学畜産学科卒業。1994~2001年カンボジアに滞在。伝統影絵芝居スバエク・トムに惹かれて一座に弟子入り。その後東京へ戻り、東京外国語大学で修士課程修了、現在は聖心女子大学大学院に在学。一年のうち何カ月かをシエムリアプで過ごし、影絵芝居について調査をしつつ一座の活動を応援している。
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