カンボジアクロマーマガジン28号
カンボジア珍テレビ事情
番組表がない!通常編成が出来ない局事情
時間が正確ではないのは、ある種この国の国民性とも言えるが、もっとびっくりするのは、新聞などに出ている各局の「今日の番組表」が存在しないということである。
特にTVKでは、局内で毎週どんな番組が放送されているかの編成表すら存在しない。レギュラー的に制作されている番組はニュースを除けば10本ぐらい存在するが、「何分番組で、一体何曜日の何時から何時まで放送されているのか?」と尋ねると、「毎週◯曜日の、◯時のニュースが終わった後から大体放送が始まる。放送時間は大体20分ぐらいかなあ…」という感じである。過去放送された「20分」番組を見たが、ある回は14分ぐらいで、別の回は23分ぐらいだった。
しかし、放送時間が答えられる場合はまだ良い方で、担当者なのに、「一体いつ放送されているのかわからない」という答えや、「番組が完成したら放送される」と答えた担当者も居たのは、これまた驚きであった。
さすがに、民放の雄CTNのウェブサイトには、レギュラー番組の時間が書かれているが、これまた不思議なのは、日本ならば、「これから放送される番組」の日時を宣伝するのに対して、過去一ヶ月に放送された日時を並べているところだ。宣伝ではなく、「記録」ということなのだろうか?
機材がない!人材が足りない!拙い番組作り
TVKで現在使用している機材のほとんどが、十数年前に日本のODAで供与されたものだ。スタジオ機材などはかなりの部分壊れていて、だましだまし使っているというのが現状だ。こうした古い最低限の機材で、ほとんどお金を掛けられずに作っている制作現場の技術力とスキルは、世界標準からは程遠い。
色も構図もアンバランスな映像。音声スタジオが壊れていてまともに使えないので、音質は極めて悪い。編集は、そのコンテクストを大きくはずれている。ソフトとしての番組の水準は、日本の素人ビデオ並、あるいはそれ以下ですらある。
なぜこんな事態になっているかと言うと、ここでもポル・ポト政権下の暗い歴史が影を落としている。1970年代から十年ほどテレビ放送が中断してしまったこと、さらに、映画や音楽、あるいは小説と言った先人達の遺産や、海外からからの優れた作品に接する機会が極端に少ない、ということに起因しているのであろう。良いものを知らないので、どういうものを目指せば良いのかを肌で感じられない。クラシック音楽を聴いたこともない人が、オペラ歌手になれないのと同じことである。
待ったなし!2015年デジタル化 カンボジアのテレビ局の行方
そんなカンボジアのテレビにも大きな転換点がやってくる。2015年のASEANの経済統合とともに、域内の放送が一斉にデジタル化するのである。日本のテレビ放送のデジタル化は2011年7月に行われたが、その準備には10年以上の歳月を掛けていた。この国でスムーズに各局の機材がすべてデジタルに切り替わるとは到底思えない。一般家庭へのデジタルテレビの普及に関しては、もっと難しいであろう。
しかし、これは個人的な見解だが、コンピューターやスマートフォンでテレビ番組を受信、視聴する、という形態ならば、デジタル化は成功するのではないだろうか?この国のwifiの普及状況から見れば、その方が現実的だろう。
問題は、インターネットと同様にテレビが見られる環境になった場合に、この国の人びとがテレビを必要とするのか?ということである。昨年の前国王逝去の際に顕著だったが、この国のテレビはインフラの遅れや政府による検閲の問題で、その速報性がインターネットに大きく遅れを取っている。インターネットで流れたニュースに、テレビが半日遅れて報道する、というタイムラグがある。ネット上に様々な情報が溢れる一方で、テレビはライブ映像すら流せなかったのである。
世界的にインターネットが普及し始めた1990年代にようやく始まったカンボジアのテレビの時代は、メディアとしてその成熟を迎える前に、インターネットとの共存を余儀なくされる事態となっている。果たして、カンボジアのテレビがどちらに舵を切るのか?それは、この国のメディアの未来を占う大きな転換点でもある。
慶應義塾大学卒業後、テレビプロデューサーとして「世界・ふしぎ発見!」「情熱大陸」「SMAP☓SMAP」など、東京キイ局を主にドキュメンタリー番組の制作を中心に日本で500本あまりの番組を制作。2011年、イギリス・レスター大学大学院で、Globalization and Communicationsの修士号取得後、2012年より、JICAシニアボランティアとしてカンボジア国営テレビ局にてTV Production Advisorとして活動中。
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