カンボジアクロマーマガジン21号
遺跡彫像の盗難
バンテアイ・チュマールの千手観音
タイ国境より20km余りに位置するここでは、1994年寺院全体において大規模な盗難に見舞われた。塔の石を引き抜いた際に石が崩れ落ち、泥棒が今も石の下に埋まっているとも聞く。1997年には寺院西面の千手観音が3体盗まれた。約40センチの壁厚のうち、彫刻のある15センチのみ切り落として持ち去っている。その石切の手法を検証すると、職人並みで「プロ」の仕業であることが特徴である。その後2体はタイ政府よりカンボジアへ返還され、プノンペンの国立博物館中庭に展示されている。驚くほど彫刻面に傷みが少ない。なお現地には2体が残り、観光の目玉となっている。
盗難を免れた2体の千手観音(2011)
バンテアイ・クデイ/タ・プロム
1999年5月頃、タ・プロム北門にて、また6月にはバンテアイ・クデイ北門にて、アプサラの顔が削り取られた。この年はアンコールの中心地域にて多数の彫刻が盗難の被害に遭った。筆者はこの年の5月より現地駐在を開始しており、盗難の報を耳にすると現地を訪れ被害状況を追い続けている。しかしながら、業務上の仕事との位置づけではなく、身の安全を考え、深追いすることは控えた経緯がある。
バンテアイ・クデイ(1999)
スナイ村
2000年頃、シェムリアップの西80kmにある先史時代の集団墓地跡であるスナイ村にて、大規模な盗掘事件が発生した。現地調査を行うと副葬品を目当てに村全体が数百もの盗掘穴で埋め尽くされていた。ビーズや陶器など売れるものだけ持ち去り、無用な頭蓋骨が道路脇に捨てられていた。「貧しさゆえ選択の余地なし」と住民は唱えるが、路傍に放置された頭蓋骨は今も忘れられない光景である。
クバル・スピアン
2003年3月4日、クバル・スピアンにて岩に彫られたヴィシュヌ神の頭部が削り取られた。1週間後に破損調査を行うと、周囲には砕けた石材が散乱していた。アンコール地域の有名遺跡での大胆な蛮行は、筆者の知る限りこれを最後に発生していない。ちなみにここはその後土産物会社により修理されたことも指摘しておきたい。今では色も馴染み事件も忘れられようとしている。
盗難直後(2004)
古代橋ナーガ頭部(未遂)
ごく最近の事例を挙げる。ベンメリア遺跡より東へ伸びる古道上の古代橋の一つコンバ・オー橋でナーガ頭部の盗難未遂事件があった。2011年7月にアプサラ機構(註)が盗難防止のためシハヌーク・イオン博物館へ運び込み、辛うじて紛失を免れた。筆者は同月現物を調査した。総重量約1.4トンのナーガ頭部を、重量を減じて運びやすくするために、半分に切ろうと砂岩を削り始めた痕跡が確認できた。
内戦期やその後の混乱期でも現場にあり続けた本物の完形彫刻が、2011年になって博物館入りせざるを得ない状況はとても残念である。しかし、ここはひとつ博物館が文化遺産教育を行う際の格好の教材を入手した、と考えるようにしたい。再発防止に役立てるほかない。
[左]現地に見られたナーガ(2010)[右]博物館へ持ち込まれたナーガに見られる切跡(2011)
註: アプサラ機構…アンコール遺跡群の保全管理を行うカンボジア政府の公団。活動対象地域はシェムリアップ州。1995年設立。
アプサラの努力
先の橋の東にタオン橋という全長65メートルの大きく美しい橋がある。近年ここを通過する古道の道路整備が行われた。誰にでも訪問が可能となり通行が楽になった反面、交通量が増し大型車が通るようになった。その結果橋が傷んだためアプサラ機構は、迂回路の建設計画を練る一方、大型車を通行止めとするため、直径1mのコンクリート土管二つを幅を狭めて橋の手前に置き、中に土を詰めた。すると残念なことに動かされて壊されてしまった。そこで現在では次の手段として、太いRC柱を地面に穴を掘り込んで埋め、移動できないようにした。相応の効果は出ていると思われる。
道路整備は住民に利する一方で、時に思わぬマイナス効果をもたらす。ここの場合も大型車通過による橋への悪影響は地域住民の生活というよりは、企業の経済活動によるところが大きい。
[左]壊された土管(2011) [右]RC柱による大型車の通行止め措置(2011)
まとめ
以上、本稿は歴史記録と筆者の見聞より記した。経年変化による石の(純粋に物理的な)風化作用とは別に、時代背景を伴いながら、遺跡は様々な攻撃を受けてきたことが分かる。今日見てなお素晴らしいアンコール遺跡群ではあるが、失われた彫像がある姿を、今一度空想しながら遺跡を巡ることをお勧めしたい。より豊かな建築空間が見えてくるはずである。
遺跡群を護るため、アプサラ機構の若者たちは人目につかない遠地で懸命の努力をしている。その努力の姿に光を当てて本稿の筆をおきたい。
<参考資料>
石澤良昭編『アンコール・ワットを読む』(連合出版、2005)
ドラポルト著、三宅一郎訳『アンコール踏査行』(東洋文庫、1970)
藤原貞朗著『オリエンタリストの憂鬱』(めこん、2008年)
三留理男著『悲しきアンコール・ワット』(集英社、2004年)
L.P.Briggs,The Ancient Khmer Empire, White Lotus, 1999
ICOM, LOOTING IN ANGKOR, Paris, 1997
1974年東京生まれ。1997年よりアンコール遺跡国際調査団に参加し、カンボジアを訪れる。1999年日本大学大学院修士課程(建築学)修了。同年より現在までシェムリアップに駐在。現在、上智大学アジア人材養成研究センター現地責任者。専門は建築史、文化遺産の保存修復学。
上智大学アンコール遺跡国際調査団
上智大学の石澤良昭教授が団長を務める調査団。「カンボジア人による、カンボジアのための、カンボジアの遺跡保存修復」が基本哲学の一つ。1991年頃より本格的な人材養成を開始。主な活動地として、上智大学アジア人材養成研究センター(1996年竣工のオフィス)を拠点とし、バンテアイ・クデイ、アンコール・ワット西参道、シハヌーク・イオン博物館など。
アンコール遺跡国際調査団ホームページ http://angkorvat.jp
続きを読む 1 2