通称S21。元々は高校の校舎であったが1975-79年のポル・ポト政権下で反革命分子とみなされた知識人や技術者、そして農民など延べ2万人がここに収容され、拷問の末虐殺されていった。 建物の周囲に張り巡らされた鉄条網、独房
市内中心から南西約15㎞の地、チュンエク村にあるキリングフィールド。 1975-79年までのポルポト時代にはトゥールスレン刑務所から17,000人の囚人がここに運ばれ処刑されたという。 犠牲者の遺体は地面に掘った大きな穴
素敵なカンボジアに出会う小旅行へ―The trip to encounters unknown cambodia