「カンボジア クロマートラベルガイドブック」
Vol.9 Oct - Dec 2008
特集1 いつか見た映画のような旅
〜遠い過去より繰り返される戦乱の地を訪れる〜
Krorma Travel Guide Book All rights reserved
本ホームページの全部または一部を
無断で複写複製(コピー)することは禁じられています。
いつか見た映画のような旅
遠い過去より繰り返される戦乱の地を訪れる
<取材/写真/文:西村 清志郎(クロマーマガジン編集部)>
タイ(シャム王国)からの解放を祝って作られた二つの都市「バンテアイミエンチェイ(勝利の砦の意)」「オダーミエンチェイ(北西での勝利の意)」
タイと国境を有するカンボジア北西部の二つの州であるが、1867年フランスとタイとの間に結ばれた条約により、この地域はタイの領土に併合された。その後1907年にはフランス領インドシナに組み込まれるも、1940年には再びタイの領土となる。はるか遠いアンコールの時代より何度も所有者は移り変わり、1953年、正式にカンボジア王国の領土となったという曰くつきの大地である。
戦の続いた大地。その多くはひどく荒廃し、復興するまでには長い時間と労力を必要とする。今回の目的地である二つの州には、かつてアンコールの王道が築かれ、はるか遠くシャム王国イサーンの地(王道建造時はアンコールの領土)まで続いていた。幾度となく行われた国家間及び国内での争いと奪い合いの後、実際には見えないイマジナリーラインにより、地図の上で国境は分けられていった。そこに住む人々の意思とは関係なく、押しつけられた線により、引き起こされた争いと歴史の地に訪れることにした。
1日目 午前 シェムリアップ州〜シソポン
(バンテアイミエンチェイ州)
バックパッカーの間で世界三大悪路と噂されていたシェムリアップからポイペト間の道路も、現在は急ピッチで道路修復作業中であり、以前と較べる
と格段に道路状況も良くなってきてた。アセアン諸国で計画されているアジアンハイウェイには残念ながらノミネートされていないが、近日中には新たな流通ラインとして活躍することになるだろう。出発して30分ほど走った頃か、不自然な振動を感じバイクを停めた。パンクだ。近くの小屋にぶら下がっているバイクタイヤに向け、バイクを押し歩く。これが、この国のバイク修理屋の隠れ看板であるのだ。声をかけると出てきたおじさんが、のんびりと作業を始めた。暇を持て余し、ボーっとしていると、近所のおばさんや子供がバッテリーを持ちよってきているのが目に入った。どうもバッテリー充電所も兼ねているらしい。国際空港のある町から、たった30分離れた場所にはもう電気が通っていない。内戦の影響によりインフラ整備が遅れているのだ。
修理の終わったバイクにまたがり、少し走るとクロラン町へとたどり着いた。北に向かうと、アンコール時代に造られたかつての王道があり、頑強な橋スピアントップが残されている。当時のアンコール王朝にとって重要な戦略拠点であったピマーイとアンコールの地を結んでおり、この橋を渡って屈強な戦士達と、象部隊が勇猛に戦いの場に出向いて行ったことは想像に易い。
大型トラックの巻上げる赤土を浴びながら、少し西部のトラッピアントモー村に向かう。ここには内戦時代に造られた巨大な湖がある。ポルポト時代に多くの人々が、十分な食料も与えられず、命を落としながら造った灌漑用大型人工湖である。せっかく造られたその施設をきちんと活用できるようにと日本が援助し排水設備も整えられた。最近では野生鳥獣保護区に指定され、東南アジアでも珍しい野鳥が観察されているようだ。
1日目 午後 シソポン〜バンテイチュマール周辺
(バンテアイミエンチェイ州)
バンテアイミエンチェイの州都であるシソポンに到着した。ここから先は隣国タイの通貨が一般的に使用されている地域となり、道路状況もよりひどくなっていく。そのため、地元民公共移動手段として、水没した悪路にも強い農耕タクシー(田植え機に荷台を付けた物)が普及しているのだ。
ニワトリや、子犬が横切るでこぼこ道を走るとバンテアイトープ(軍隊の砦)寺院に到着した。その名の通り大勢の兵達が、兵を挙げ進軍し、侵略者から国を守っていたのだろうか。敷地外部から寺院全体を見渡すと三つの背が高い祠堂が三兄弟のように背較べしている。手前の寺院に入るが、別段変った彫刻など残されていない。最近崩れ落ちたばかりなのだろう、奥の祠堂の入り口部には真新しい砂岩の破片が砕けている。足もとに気をつけながら内部に入ると細い緑色のヘビが足音に気付いて逃げ去った。
この辺りは酪農が盛んであるようだ。酪農といっても放牧100%であり、子供達がのんびりと水牛の後をついて行っているだけである。自由な時を楽しんでいる水牛は、気の赴くまま食事をとり、水を浴び、仲間達とのファイトを楽しんでいる。すぐ近くの木陰ではカウガール達が犬と一緒にランチボックスを広げていた。
太陽がかなり傾いた頃、バンテアイチュマール寺院のある村に到着した。この寺院、いろんな本で紹介され始めているが、寺院を中心として四方に残る小遺跡群に関してはあまり知られていない。地雷がまだまだ残っているためガイドブックでは自主規制をしているのだろう。
とりあえず寺院南にあるタプローム寺院に向かう。この寺院の特徴はアンコールトム内バイヨン寺院でも見られる四面仏の塔が一基だけお堀に守られており、その姿が、常に水面に映っていることである。そのお堀は周辺に住む人々の命の泉ともなっているようで、大人子供を問わず、シャワー代わりのスイミングを楽しみながら、自宅で使うための水を、自転車に備え付けた水汲み用プラスティックコンテナに汲んでいた。
二部屋しか客室のない小さな宿にチェックインし、体全身にこびりついた赤土を洗い流す。タイル張りの水溜めには、すすけた色の水が穏やかな波を立てている。寺院のお堀から運んできた置き水なのだろう、何となくぬるりとした水を頭からザップリとかぶった。ふと足元を見ると小さなサソリが歩いている。ここにいるとサソリといえども当たり前の生物である気がするから不思議である。手桶の水をかぶせるといそいそとどこかに消えて行った。
遠くで犬の遠吠えと発電機の音が聞こえてくる。小さな屋台の明かりがちらほら見える30メートルほどの繁華街でビールと飲み水を買い込む。あいにく冷たいものはなかったが、20センチほどの大きな氷を購入する。持ち帰って包丁で割り、直接グラスに入れて冷たいビールを楽しむのである。日本人の感覚からすると、なんでビールに氷を入れるのだという気もするが、カンボジア、いや東南アジア全体がそうなのだから仕方ない。各家庭に冷蔵庫があることが一般的である先進国とちがい、電気も通っていない国々では生鮮食材などの保管、また飲み物等も外から冷たくするのではなく内側から直接冷たくするからだ。宿に戻りオーナーの手作り料理をビールとともに楽しんでいると、急に電気が消えた。たぶん、バッテリーが切れたのだろう。しばらくするとライトの明かりが点った。オーナーがすぐ近くのバッテリー屋さんから借りてきたのだ。何もすることのない町だ。涼しい風が流れだした頃、床につくことにした。
2日目 午前 バンテアイチュマール周辺
(バンテアイミエンチェイ州)
〜ターモアン遺跡
(オダーミエンチェイ州)
ゆっくりと薄明かりが差し込み始めた。日の出と共に一日が始まるのが一般的なカンボジアライフである。
散歩がてら、バンテアイチュマール寺院へと入る。寺院敷地内にもかかわらず民家があり、人々が生活を営んでいる。その庭に広がる菜園を抜けると寺院周壁があり二体の千手観音彫刻が見える。その横には何もない空間があるが、以前は合計八体の千手観音が整列し、この寺院を見守っていたという。内戦時から内戦後までのごたごたの間に金銭目当ての盗掘者により六体が持ち去られたのだ。うち一体はタイに運ばれる途中で発見され、盗掘者は刑務所に、持ち出された彫刻はプノンペンの国立博物館に入ることとなった。壁画はバイヨン寺院の第一回廊の彫刻と酷似しており非常に面白い。象に乗っての進軍シーンはもちろん、自国の将軍に、自身が倒した敵兵の首をさし出している彫刻などは、アンコール時代にも日本の戦国時代同様に、首検査があったのではないかと、当時の戦いの様子が頭の中で描かれる。また、ウルトラマンに出てくる宇宙怪獣のようなモンスターが牛車を飲み込み、人々を困らせる。その悪行に業を煮やしたジャヤヴァルマン七世(この寺院を建造した当時の王)が、世のため人のため、そのモンスターと戦うシーンがあるのも大活劇絵巻物を見ているようで非常に面白い。寺院中央部へと向かう。崩壊した塔や屋根の石材が散乱しており、非常に足場が悪い。四面仏の塔も残されているが、すぐにでも崩壊しそうな勢いで傾いている。また、周辺にはシェムリアップにあるタプローム寺院のようにガジュマルの木々が寺院に覆いかぶさるように生え茂っている。
大きな木の下に並ぶ屋台で朝食をとっていると、青い鳥を持った男性が現れた。近くで捕まえたと言う。周辺寺院の話を聞くと案内してくれることとなった。すぐ近くの高床式住居を抜け寺院へと向かうと、森の繁みから大きな顔をのぞかせている。タネーム寺院だ。ぐるりと裏側に回ると四面の内の二面は完全に崩れ落ちていた。内戦時代にポルポト兵がバズーカで吹き飛ばしたという。その後、他の七つの遺跡を訪れ、青い鳥にさよならを告げた。
雲に覆われた空の様子を気にしながらバイクを走らせる。粘土質の道路は所々で冠水しており、膝丈まで水没した道を避けるため、田んぼの縁を進んでいく。小さな土手があり、その上には小さな櫓が建っている。横切ろうとすると中からカンボジアの国境警備兵が現れた。この先にターモアン寺院があるのだそうだ。この寺院、タイとの国境山間部にあり、昨今のプレアヴィヒア世界遺産問題から派生した揉め事が、この寺院にも飛び火したのだという。
兵に許可を取り、寺院麓にある小寺院に訪れると、銃を肩から掛けた兵士達が食事をとっていた。一般市民がここから先へと進むには、上官の許可が必要だと言う。テントで作られた小さな砦に案内され、上官と話をする。寺院までは内戦時に埋められた地雷が数多く残っており、彼らの同行がないと危険である。まして、現在は戦闘地域であるため、許可できないと強く制された。残念ではあるが、こればかりは仕方がない。
二度と訪れる機会はないだろうと考えながら、兵士達に礼をし、この地を後にした。
2日目 午後 サムロン〜アンロンベン
(オダーミエンチェイ州)
道路脇には寺院と彫像、そして両手に手錠をかけられ監獄に入った男性が描かれた大きな看板が立っている。近くに遺跡があるのだろう、文字が読めない人にも分かりやすく、国の財産を国外に持ち出さないように示唆しているのだ。
少しずつ町が開けてきたと思うとオダーミエンチェイの州都サムロンへと辿り着いた。小さな市場で遅い昼食をとり、町の中心に建つサムロン寺を訪れた。シンプルな寺であるが、壁の上部には天国、下部には地獄での拷問が描かれている。現世での悪行を懲らしめる目的であろう。
しばらく走るとドンライ山脈へと続く一本道となった。所々には赤い地雷マークがある。この地は内戦時にポルポト兵により埋められた地雷がいまだ撤去されずにいるのだ。そのポルポトが永眠している町アンロンベンまでは思ったより早く到着した。かつてこの国を牛耳ったポルポトであるが、現在は誰からも敬われることなく、辺境のこの地でトタン屋根に覆われた簡素な墓に眠っていた。
3日目 アンロンベン(オダーミエンチェイ州) 〜ピマーイ遺跡(タイ東北部イサーン)
起き抜けに窓から外を眺めると、小雨がパラついている。今日はタイに残るアンコール王朝時代の遺跡ピマーイ(11世紀〜14世紀後半)へと行かなければならない。朝7時から開く小さな国境ゲートに向かい、タイに入国。思ったよりあっさりとした入国である。
国境を抜け、少し歩くと獲物を狙った人々が次々と声をかけてくる。押し寄せる人々をかき分けソンテウ(乗合タクシー)へと向かう。途中で公共バスに乗り換えながら遺跡へと向かうのだ。手間と時間はかかるが、非常にお財布に優しい移動手段である。
国境から100kmほど離れている町で下車する。この辺りまで来るとさすがに雨も降っていない。ここでバイクタクシーに乗換え、近くのクメール寺院ムアンタムとプノンルンへと向かうのだ。これらの寺院もかつての王道の線上に位置しており、アンコールへとつながっている。運転手に尋ねると、昨日辿りつけなかったターモアン寺院もさほど遠くはないと言う。それならばと、まずはターモアン寺院へと向かう。寺院のある山頂まで、あともう少しという所で道路封鎖が行われていた。待ち受けていたタイ兵により寺院訪問は許可できないと断られる。残念ではあるが、とりあえず、できるだけのことはやったと自分の中で満足させ、そのまま二つの寺院を訪れた。再び公共バスに乗り込みピマーイ寺院へと向かう。バスの車掌さんに「ピマーイ、ピマーイ」と繰り返していると、どうにか通じたようだ。うつらうつらしていると肩を叩かれ目が覚めた。やっとタイのアンコールワットに到着したのだ。降車したバスからはすぐに塔頂が見えた。アンコールワットよりほんの少し小さい平面型寺院だが、寺院敷地内にも近代的なビルが立ち並んで町となっており、人々が活気ある生活をしている。
人気の少ない寺院内に入ると、アンコール時代最盛期の王であったジャヤヴァルマン7世の彫像が鎮座していた。アンコールから遠く離れたこの地ではあるが、かつての王が祀られ、大昔にアンコールの大地であったイサーンを、そこに住む人々を見守っていた。

.jpg)

.jpg)
.jpg)
.jpg)
.jpg)