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カンボジアクロマーマガジン8号

逆境を糧に-内戦時代を生きた成功者たち-

[取材・文] 多賀史文 [写真] 多賀史文 [制作] 谷岡郁子

オクニャー・ヴィチェイ氏 (Oknha Vichey)
1958年生まれの不動産投資家、農園経営者。元カンボジア難民で日本へ20年間にわたり亡命生活を送る。カンボジアに帰還後は、実業家としてビジネスをする傍ら、地方の教育環境の改善のために慈善活動を積極的に行っており、オクニャーの名誉称号を国王から授かる。

生い立ちと子供時代の私について
 私は58年にプノンペン市内のダムコ―市場近くの家庭で生まれました。父は市場の複数の店舗を所有して貸したり、また港で水揚げされた積み荷を運ぶ運送会社を経営したりしていましたので、比較的裕福な家庭でした。兄弟は6人で私は4番目。幼かったころは家には親戚が多く住んでいたので、とても賑やかだったのを覚えています。両親は私たちに数学の家庭教師をつけていて、皆数学が好きでした。学校が休みの日は自転車に乗ってワットプノンや王宮に友達と遊びに行きました。街は本当に美しく、素敵な思い出です。

ポルポト時代の私について
 75年にクメールルージュがプノンペンに入って来た時、私たちも例外ではなく強制退去をさせられました。この当時、姉がコッコン州の医者と結婚して、兄弟2人が一緒に移り住んで診療所の手伝いをしていましたので、家には両親と私たち兄弟3人がいました。皆で家財と食料を荷車に積み込み、言われるがままに家を出て南に向かいました。ただ、私たちは南の方に頼れる身寄りがなかったので、列を脱して母の実家のある東の村へと逃げました。村に着いた後は、かつてのステータスを一切捨て、農民に混じって畑仕事をしました。泥まみれになる過酷な労働でしたが、不平を言えば死が待っていたので、作り笑いばかりして生きていたと思います。その後、コッコンの姉たちは、処刑されたという話を人伝に聞きました。苦しみの中、父は78年に病にかかり他界しました。薬があれば助かる病気でした。

内戦時代の私について
 79年にクメールルージュが首都から逃げた後、私は一度プノンペンの街へ遊びに行きました。街角でたくさんの屋台を見掛けました。私は金がほとんどなく、一杯のクイティウも買えませんでした。その時私は、家族のプライドが傷ついたように感じて、本当に悔しくて、村の生活を止めてプノンペンに引っ越して商売を始めたいと思いました。
 帰って母にその話をすると、母は米30㎏を袋に詰めて送り出してくれました。その米を肩に担いで歩いた日を忘れられません。重くて辛くて、でも希望に満ち溢れていました。街に着いた後、私はその米を売って靴の行商になりました。電車でバッタンバンまで行き、そこから自転車に乗って国境の市場に行って靴を買い、それをプノンペンに持って来て売るのです。
 しかしこの商売はいくらやっても生活が良くならず、私は友人たちと一緒にカンボジアを脱する計画を立て実行しました。いつもの国境まで行き、そこから難民キャンプを目指したのです。途中2度も銃を持った人に追われましたが、幸運にも無事キャンプにつき、82年から3年間、私はここで国連の人道支援の仕事を行っていました。いつもタイ人が半分腐った野菜を納品してくるので抗議したところ、大変な騒動になって殺されかけたことがありましたが、その正義感を買われ、いつしか部隊のリーダーに選抜されました。そしてキャンプの中で結婚して、その後日本へと亡命しました。
 日本では研修センターで3か月の間、日本語や日本の習慣を学び、そこから群馬県邑楽郡大泉町に住み着きました。プレス工、金型工、機械部品工などの仕事を20年間勤め、子供3人を授かりました。日本での仕事は危険なものも多かったですが、仕事をたくさんいただき、残業をできるだけしてお金を貯めました。

私の事業について
 私は00年頃よりカンボジアと日本を行ったり来たりする生活をはじめ、日本で貯めたなけなしのお金を都市部の不動産に投資しました。幸いカンボジアの経済復興が進み、この投資は成功しました。買っては売りを繰り返し、お金は雪だるま式に増えていきましが、私が金持ちになっても祖国は良くなったとは感じられず、強い虚無感に駆られました。日本に住んで痛感したのは教育の重要性です。今の大人を教育することは私には到底出来ないことですが、これからこの国を支える子供たちの就業環境を変えることならできるのではないかと思い、図書の寄贈を始めました。その活動は次第に私の日本の知り合いにも波及し、今日に至るまで、学校をいくつも建てるご支援を頂きました。
 今も私は不動産投資を続けています。しかし、都市部の土地は高騰してしまったので、最近は地方農村が投資対象になることが多いです。そうやってカンボジアの大地に交わっている中で、この土地から作物を実らせたいと感じるようになりました。私は近隣の農家の人たちを雇い、土地を開墾し、彼らと共に日本やタイから技術を学んで、新しい品種の作物を育てる農園を運営するようになりました。そうして、今は心穏やかにカンボジアの成長を感じられるようになってきました。

 私の成功の秘訣
 私の人生の教訓は「いつも自分の直感を信じること。正義感を見失わず、恥ずかしくない人間でありつづけること」です。これは私の性分でもあり、また日本の方々から学んだことでもあります。この精神が、私を苦しみの中から、今の幸運に導いてくれたのだと感じています。

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素敵なカンボジアに出会う小旅行へ―The trip to encounters unknown cambodia