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ホーム マガジン 写すシリーズ: バンテアイスレイの神秘を写す

カンボジアクロマーマガジン23号

higuchi-23-1バンテアイスレイの女性像

 

 神殿に浮彫りを彫り込んだアンコールの職人たちは、驚くほど写実的な仕事をしていた。ヒンドゥー教の神々や神話の浮彫りを見ているだけでは気付きにくいが、その写実の精度は凄い。例えばバイヨンの回廊で、戦争場面の添え物として描かれた魚の浮彫りを残らず撮影すれば、これでトンレサップ湖の魚類図鑑ができそうだ。添え物とはいえ石に彫られた魚は、体型も模様も本物そっくりなので、湖の漁師はその名前を言い当てられる。アンコールの神殿遺跡には、魚以外にも多種多様な動植物の写実的な浮彫りがあり、私たちに知識があればその名前を割り出せるだろう。アンコールの職人たちの仕事は、対象を写真のように壁に刻むことによって、結果的には1000年前の生態系のタイムカプセルを残したことになる。

 写実的な浮彫りの傑作といえば、バンテアイスレイ遺跡の神秘的な女性像(写真1)だ。顔の表情をこんなに生々しく彫った職人は天才だ。写実が極まると神秘が湧きでるものなのか。アンコール遺跡を舞台にした小説『王道』の作者アンドレ・マルローが、青年時代にバンテアイスレイにやってきて、仲間と盗掘したのもこの女性像だった。そのいきさつをカンボジアを植民地にしていたフランスのアンコール遺跡調査と重ねて解き明かした藤原貞朗さんの『オリエンタリストの憂鬱』は、研究書であっても小説のように読者を夢中にさせる。マルローによってに盗掘され女性像は、実際にプノンペンまで運ばれてしまったものの、サイゴンへ向かう寸前で救出された。



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バイヨンの回廊に彫られた女性たち

 

 この女性像を見て、若い人なら「ドレッド(あるいはコーンロウ)」と気付くかもしれない。そう、彼女の髪型は三つ編みのバリエーション、今でいうドレッドヘアだ。オールバックにした三つ編みの編目がはっきりわかる。この「ドレッドヘア」に気付いてからバイヨンの回廊をあらためて眺めてみると、彫られている女性たちの髪型もオールバックで、髪には太い筋が刻んであり、ドレッドのように見える(写真2)。アンコールの都の暮らしを記録した『真臘風土記』という中国人の旅行記には髪型の記述があり「国王以下男女はみな椎髻(ついけい=さいずちまげ)」とだけ書いてある。ためしに「椎髻」を中国の検索サイトにあたると、アンコールワットの壁に無数に刻まれている「女神像(写真3)」と同じような奇抜な髪型がたくさんヒットした。少数民族の女性、古い時代の絵、青銅製の人頭像。断定はできないが、その奇抜な髪型のベースは三つ編みのようだ。

 ドレッドヘアの歴史を調べると、クレオパトラの髪型でもわかるように、エジプトがルーツになる。また紀元前のインドの聖典『ヴェーダ』に「シヴァ神と信者は髪の毛をJaTaa(ジャター)にする」と記してあり、これもドレッドヘアのルーツらしい。私はネパールのヒンドゥー教徒の友人にバンテアイスレイの女性像の写真を送ってみた。すると「これは私たちがJaTaaと呼ぶヘアスタイル」と返信がきた。どうやらこのドレッドヘアは、当時の王たちが信仰したヒンドゥー教、つまり『ヴェーダ』の教えからきているようだ。バンテアイスレイの神秘的な女性像がそうであるように、実際に神殿に仕えた生身の踊り子や巫女たちの髪型もドレッドだったに違いない。プリアカン遺跡の碑文に、ここだけで「常時数千人の女性奉仕者がいた」とあるから、アンコールの神殿遺跡の数からすると踊り子や巫女など女性奉仕者の数は相当なものだろう。ドレッドへアは当時もっともポピュラーな髪型だったかもしれない。

 

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アンコールワットの回廊を飾る女神


樋口 英夫 (ひぐち ひでお)

写真家。アンコール遺跡にかかわる著書に『アンコールワット旅の雑学ノート(ダイヤモンド社)』『チャンパ(めこん)』『風景のない国・チャンパ王国(平河出版)』『7日で巡るインドシナ半島の世界遺産(めこん)』がある。
アンコール・ナショナルミュージアムでオリジナルプリントが購入できる。
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