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カンボジアクロマーマガジン20号

絵で見るカンボジア近現代史 with キーワード20

[文・イラスト]矢羽野 晶子[クロマーマガジン編集部]

 クメール共和国(1970~1975)

大統領:ロン・ノル
政治:共和制(王政廃止)
外交:親米・反ベトナム

 シハヌークを追放して親米政権樹立 ベトナム戦争に巻き込まれ、国は混乱に

F1_20_RonNol 1970年10月、新政府を樹立したロン・ノルだが、農民を中心とする国民の多くはシハヌークを支持しており、各地で反政府デモが行われた。ロン・ノル政権はアメリカを後ろ盾とした親米政権であり、ベトナム戦争中のアメリカ軍にカンボジア領域内の侵攻と爆撃を許可した。その結果、農村部を中心に激しい空爆にさらされ、国民の反政府感情はいっそう高まった。そんな中、反ロン・ノル勢力で共産主義のクメール・ルージュ(カンボジア共産党)は次第に勢力を伸ばしていった。
 一方、北京に亡命していたシハヌークは亡命政府「カンプチア王国民族連合政府」を立てる。国外より国民へ政権打倒を訴え、クメール・ルージュを支持。そして1975年4月、ついにクメール・ルージュを中心とした「カンプチア民族統一戦線」がプノンペンに入城して、ロン・ノル政権は倒れた。

 

クメール・ルージュ、躍進の軌跡

F1_20_PolPot

 クメール・ルージュはいかに強大な力を持つに至ったか。1951年の結成からしばらくは弱小勢力であったが、70年のロン・ノル時代に入ると、国は米軍の空爆にさらされ、国民の心は対抗勢力であったクメール・ルージュに傾いていき、次第に勢力を拡大していく。亡命中のシハヌークがクメール・ルージュ支持に回ったことも大きい。かくして1975年4月17日、クメール・ルージュは歓声の中プノンペンに入城するが、その後の歴史は誰にも想像できなかったであろう。

 

[キーワード10]カンプチア王国民族連合政府

シハヌークが亡命先の北京で立ちあげた亡命政府。中国はこれを承認。打倒ロン・ノルを掲げ、共に反ロン・ノル勢力であったクメール・ルージュと手を組み、国外よりカンボジア国民を扇動した。

 

 

 民主カンプチア(1975~1979)

首相:ポル・ポト(サロト・サル)
政治:民族主義的共産主義
外交:鎖国(親中国・反ベトナム)

 毛沢東思想に傾倒した極左政権 100万人以上の命を奪った「狂気の時代」 F1_20_KhmerRouge 圧倒的な支持を得て政権に就いたクメール・ルージュだが、すぐにプノンペン市民は一人残らず農村部の集団キャンプへ強制移住させられ、ポル・ポトによる「恐怖政治」が始まった。
 クメール・ルージュは極端な毛沢東主義に心酔した共産主義集団であり、農業による自給自足、宗教の禁止、貨幣の廃止を謳い、中国を除いた外国との国交も絶った。都市住民や旧支配階層、知識階級者は身分・財産をはく奪させられ、多くの罪なき人が虐殺された。また、全国で灌漑水路が建設されたが、無計画・無設計で行われたため、農業インフラが機能しなくなり深刻な食糧危機も招いた。餓死や病死も合わせると、死者は3年半の間に100万人以上とも言われている。

 

[キーワード11]クメール・ルージュ 

1951年に結成されたカンボジア共産党のこと。「赤いクメール」という意味。ポル・ポトを首塊とした極左政党で、民主カンプチア時代には政権を掌握し、強制労働と大量虐殺で世界中に名を轟かせた。現在クメール・ルージュ特別法廷にて、当時の幹部らの国際裁判が行われている。

 [キーワード12]ポル・ポト 

1928年生まれの元カンボジア共産党書記長。本名サロト・サル。民主カンプチアの首相で、政権下では反逆するものを次々と処刑して恐怖政治を行った。内戦が終結した後も1998年に死去するまでゲリラ戦を展開し、国を混乱に陥らせた。

[キーワード13]毛沢東主義

ポル・ポトが傾倒した、毛沢東による共産革命思想。「大公無私」「大衆路線」「実事求是」などを基本理念に掲げ、農村中心の革命を目指した。

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