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カンボジアクロマーマガジン20号

絵で見るカンボジア近現代史 with キーワード20

[文・イラスト]矢羽野 晶子[クロマーマガジン編集部]

 

カンボジア史といって想像するもの、それは何か。アンコールワットを築いたアンコール朝、そして悪名高いポル・ポトだろうか。その他は・・・というと、なかなかピンと来ない人が大半であろう。
 カンボジアの歴史、特に近代以降は複雑難解な印象がつきまとう。カンボジアに興味を持って歴史を勉強してみようとしたけれど、挫折してしまった方も多いのではないだろうか。そこで今回は、イラストを交えながら、できるだけ簡潔に近現代史をまとめてみたい。

カンボジア近現代史を理解するために重要であると考えられる20のキーワードを、同時に紹介する。
黄色のハイライトがついている部分がキーワードとなり、用語解説を掲載する。

 

<Hatena1>カンボジア近現代史とは?

 カンボジアの歴史を分けると、1世紀に興った扶南から6世紀後半の真臘(しんろう)までを古代、9世紀~15世紀のアンンコール王朝期を中世、15世紀後半から19世紀前半のポストアンコール期を近世、そして19世紀中ごろ、フランスの保護国となってからが近代となる。今回は、フランスの保護国となった1863年以降の歴史にスポットを当てる。

<Hatena2>どうして難解?カンボジア近現代史

 さて、近代以降のカンボジア史はなぜ難しいか?まず、カンボジアは19世紀のフランスの植民地に入ってから現代までの約150年という短い期間に、なんと7回も国が変わっている。そのたびに国旗や国歌も変わり、それに伴い、植民地支配→王制社会主義→共和制→急進的共産主義…と、国の政治体制も目まぐるしく変わる。そして様々な主義主張を展開する勢力が存在し、内戦を繰り広げていたことも難しくしている大きな理由であろう。

<Hatena3>まずは、近代に入る前の背景を知っておこう

F1_20_PostAngkor

 ではまず、カンボジアがフランスの植民地となったいきさつから。19世紀中ごろ、圧倒的な軍事力を持ってインドシナに進出してきた大国フランス。当時ポスト・アンコール期であったカンボジアは、隣国のシャム(タイ)とベトナムに宗主権を奪われ、両国の二重属国という極めて悲惨な状況にあった。その状態から脱しようと、時の王、アン・ドゥオン王はナポレオン三世に保護を要請。その時はシャムに漏れて叶わなかったが、次代のノロドム王の時代である1863年、ついには保護国となった。
15世紀にアンコール朝が途絶えてからは、常に隣国からの攻撃にさらされてきたカンボジア。フランスの支配下に入ることは、国家を守るための苦渋の選択でもあった。

 

[キーワード1]ポスト・アンコール

15世紀前半、王都アンコールを放棄してから1963年フランスの保護国に入るまでの期間のこと。王都はロンヴァエク、プノンペン、スレイ・サント-など転々とした。王室は存在したが、実質はタイとベトナムに支配され、国も分裂状態にあった。

[キーワード2]アン・ドゥオン王

近代カンボジアの礎を作った王。在位1874~59年。各地方の再編、祭礼儀式の整備等、国の近代化と統一を計った。現在のカンボジア王室は、アン・ドゥオン王かその子ノロドム王、シソワット王の子孫のみが王位につけるとされている。

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