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カンボジアクロマーマガジン43号

私の1975~1979-名も無き人々の「ポル・ポト時代」回想録-

[取材・文] 矢羽野 晶子 [制作] 田中 友貴 (クロマーマガジン編集部)

別のトラックに乗っていたら殺されていた

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名前:トゥン・クーン
年齢:55歳(1959年生)
出身:カンポット州

 カンポットの片田舎に家族12人で暮らしていました。両親共働きで忙しかったので、長兄が皆のご飯を作っていました。大家族だからご飯のお鍋すごく大きかったです。私は上から2番目。弟や妹の面倒を見るのが忙しくなって、10歳で小学校をやめました。でも勉強が嫌いだったから嬉しかったです。

1975年4月17日:15歳
 ある時突然、家族全員で別の村に連れて行かれました。それから両親とは離れ離れにされて、さらに遠い場所へ。親と離れるのがとても悲しかったです。連れて行かれた所では、同じ年代の子達と一緒に働かされました。貯水池を作るために、土を掘ったり運んだりしました。
 食事は1日2回だけ。しかもお茶碗一杯のお粥のみ。お粥といっても味がなくて、少量の米の中に、蓮の茎が混ぜられていました。皆お腹がすいて…。中には栄養失調で労働中に倒れて死んでしまう子もいました。

ボーコー山、死のドライブ
 ある朝、沢山のトラックが来ました。皆よくわからないまま荷台に乗せられ、運ばれました。私や兄弟たちのトラックは1台目で、コンポントライという村に連れて行かれました。後から知ったことですが、2台目以降はすべてボーコー山(※)に行き、全員殺されたそうです。私たちのドライバーは勘違いしてボーコーを通り過ぎてしまったようで、九死に一生を得ました。

脱走して両親を探しに
 それからは、場所を転々としながら働かされました。ある時、コッスラーと呼ばれる人口貯水池を作りましたが、そこでの労働はとても過酷で、多くの人が死にました。力なく動けなくなった人を、ポル・ポト兵は怠け者呼ばわりして容赦なく殺しました。
 ある時、私は隙を見て脱走しました。離れ離れになった両親や兄弟たちを探しに、村という村を尋ね歩きました。しばらくして、プノン・レアックボンという姥捨山のような場所で、両親と奇跡的に再会できました。それから間もなくベトナム軍が侵攻し、ポル・ポト政権は倒れました。両親と私を含む9人の兄弟たちは全員無事でした。

※カンポット州西南にある標高1,048mの山。植民地時代は フランス人の避暑地として栄えた。現在は国立公園。

一年365日、休みなく働いた

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名前:ノン・リー
年齢:70歳(1946年生)
出身:シェムリアップ州

 ポル・ポト政権が始まる前の70年代前半、カンボジアはすでに内戦状態で、親米のロン・ノル政権とポル・ポト率いる親中国の共産軍が争っていました。ポル・ポトの支配地は農村、ロン・ノルはプノンペンでした。当時私はロン・ノル政権の空軍隊員としてプノンペンのポーチェントン空港で働いていました。

1975年4月17日:30歳

 この時、私には妻と生後2週間の息子がいました。私たちはコンポントムまで1ヶ月半歩いて移動させられました。幸い妻と息子は大事に至りませんでしたが、他の新生児やその母親たちは、ほとんどが栄養失調や疲れで死にました。私たちは夜通し歩き、昼間は通りがかる村々で食べ物を乞いました。この時、農村の人たちはまだ普通の生活をしていました。
 コンポントムのチュオップクサエという村での生活が始まりました。私は前政権の軍人だったので、身元が知られたら命の危険もありましたが、名前は変えませんでした。ここでは雨季は稲作、乾季は牛の世話、木や竹の伐採など、1年365日、休みなく働かされました。私は農業の経験はありませんでしたが、見よう見まねで覚え、一生懸命働きました。

新人民と旧人民
 当時、元からいる村民は「旧人民」、プノンペンから移住してきた人は「新人民」と呼ばれ、両者まるで違う扱いを受けました。旧人民は村の幹部やポト軍の兵となり、新人民を支配したのです。村には1ヶ所だけ食事をとる場所があり、新旧関係なく全員がそこで少ない食事を取りましたが、旧人民の人たちは、それから自宅でこっそりご飯を食べていたようです。皆とても痩せていていましたが、旧人民の中には健康そうな人もいました。

知らぬ間に人が消えた
 毎日夕食後、全員参加のミーティングが行われました。次の日の作業確認をしたり、幹部から「もっと頑張るように」と叱咤されたり。時に幹部は、私たちに意見を求めましたが、意見を言った者はその後、いつの間にか消えていました。私は殺されないよう、文句も意見も言わず、彼らに従って黙々と働きました。この地獄の3年半を生き延びることができたのは、ただ従順に勤勉に働いたからです。

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