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カンボジアクロマーマガジン32号

冒険シリーズ
国境をめぐる冒険:第3回
下川裕治(しもかわ・ゆうじ)

 カンボジアはタイ、ラオス、ベトナムと国境を接している。外国人でも越境可能ないくつかのポイントがある。今回はカンボジアのバベットとベトナムのモクバイ間の国境──。

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 首都のプノンペンから、ベトナムのホーチミンシティに陸路で向かう場合、最もポピュラーなルート。それがバベットからモクバイに抜ける国境だろう。所要時間は6~7時間。昔に比べればずいぶん早くなった。カンボジア側の道が格段によくなったからだろう。

 記憶を辿っていけば、カンボジアとベトナムの間の陸路国境を、はじめて外国人が通過できるようになったがこの国境だった。カンボジア側は国道1号線。ベトナムを結ぶ幹線でもある。

 僕がはじめてこの国境を越えたのは、1996年だった。この国境が開放されてから、そう年月がたっていなかったと思う。

 手続きが大変だったのは、カンボジアよりベトナムのほうだった。

 内戦の終結にむけて、カンボジアは国連カンボジア暫定行政機構(UNTAC)の管理下に置かれた。1992年のことだ。そのとき、多くの外国人を受け入れたカンボジアは、ベトナムより早く外国人に開放された国だった。

 しかしベトナムは違った。インドシナ半島を社会主義化していくという理念のなかにいた。カンボジア侵攻が引き金になったアセアンなどの経済制裁で経済は破綻寸前に追い込まれ、1986年にはドイモイを採用せざるをえなくなっていたが、その方針を放棄したわけではなかった。

 社会主義国には、和平演変という言葉がある。もともとはアメリカの学者の提案である。政治的な宣伝、経済支援、文化交流といった平和的な手段を使って、社会主義国を民主化させていく理論だった。社会主義国が観光目的であっても、外国人を国内に入れる段になると、いつもこの議論になった。

 ベトナムは海外に暮らすベトナム人からの経済支援に期待していた。そのためには、外国籍のベトナム人へのビザを発給しなくてはならなくなる。こうしてベトナムは外国人を受け入れはじめていた。

 その目的からすれば、僕のような旅行者にビザは出したくなかっただろう。やってきても金はほとんど落とさず、批判めいた文章を書く人間など、鬱陶しいだけだった。しかしビザは一律に発給しなくてはならなかった。

 まず空路でホーチミンシティやハノイに入るビザができた。その先は陸路で国境を越えるビザだった。

 はじめてバベットーモクバイ間の国境を越えたとき、僕のパスポートのベトナムビザ欄には、「モクバイ」という地名が記されていた。ビザをとるとき、越境ポイントの地名を伝え、それが書き込まれていないと、通過できなかったのだ。

 しかしそんな事情を嘲笑うかのように、バベットーモクバイ間の国境はのんびりしていた。当時は両国のイミグレーションの間が野原になっていて、ぬかるむ道をとぼとぼと歩いた。途中で自転車に乗ったアイスクリーム屋とすれ違った。

 「こいつはビザなんて無縁なんだろうな」

 そう思いながら見送った記憶がある。

 いまではその野原を、バスで通過してしまうのだが。
(この項続く)


下川裕治(しもかわ・ゆうじ)

1954年生まれ。旅行作家。アジア、沖縄に関する著作が多い。近著に『世界最悪の鉄道旅行ユーラシア横断2万キロ』(新潮文庫)、『「生きずらい日本人」を捨てる』(光文社新書)。最新刊は『不思議列車がアジアを走る』(双葉文庫)
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