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カンボジアクロマーマガジン29号

コンポンプルック 浸水する村と、人々の暮らし

[取材・文] 多賀史文、永広まりこ [写真] Hou Sokratana [制作] 安原知佳

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コンポンプルック―。
トンレサップの湖畔に、通常の約2倍の高さを誇る高床住居群の村がある。
 カンボジア中央部に広がるトンレサップ湖の湖上や浸水域(注1)では、現在110万の人びとが農業や漁業を営みながら生活している。彼らは自然の脅威と恩恵の狭間で、どのような生活をしているのだろうか。
 湖の伸縮と共に生きる人びとの生活を訊ねるため、「浸水する村」コンポンプルックを訪れる。
注1:トンレサップ湖周辺で、雨季ごろになると水没する地域のこと

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湖に飲み込まれていく村

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 目が覚めて表に出ると、床下まで水が来ていた。昨日まで陸だった所が、今日からは湖になる。湖水は日増しに増え、いつしか村を水上村に変えていく。
 雨季のある日、シェムリアップから車と船を乗り継いで約1時間。トンレサップ湖の畔にある漁村、コンポンプルック村を訪れた。
 コンポンプルック村は、ロリュオス川河口付近に広がる集落。彼らの住む高床住居は、満水期の水位に合わせて作られるため、床下の高さが6m程にもなってしまう。現在村では600世帯3,000人が、この見上げるような高床住居で生活している。
 村はトンレサップ湖の浸水域に位置するため、雨季の半ばごろから湖に飲み込まれていく。故に村人たちは同じ場所に住居を構えながら、1年の半分を陸上で暮らし、もう半分を水上で暮らすという。
 朝だというのに蒸し暑く汗ばんでくる。日本であれば秋の気配も感じられる頃だというのに、カンボジアの空はいつも夏だ。あの平原の彼方で沸き立つ入道雲が、今もコンポンプロックの村を少しずつ沈めている。後1カ月もすれば、村はすっかり湖水に浸かってしまうだろう。

村の言い伝え

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 村の老人たちは物知りである。何人かの老人に村の昔のことを尋ねて周ったところ、村の歴史に関するいくつかの言い伝えを聞くことが出来た。
 最も古い話は、人びとがこのカンボジアの地に進出するずっと前の話である。当時トンレサップ湖はいくつかの沼の集まりだった。そこには広大な森が広がり、ねずみや猿、蛇や亀、ワニや象など多くの生き物が棲んでいた。しかしある年に大地が動き、メコン川の水が沼に流れ込むようになって、今のトンレサップ湖ができる。湖は雨の季節になると増水し、森が浸水するようになったので、象は湖畔とクーレン山を行ったり来たりする生活を始めた。季節の変わり目になると、彼らは隊列を組み、新しい季節の到来を告げる歌を歌いながら森の中を闊歩したという。それから何百何千年その営みが続いたのだろうか。象の歩いた道は、土が窪んで、いつしかロリュオス川ができた。
 二つ目はアンコール王朝末期の話。当時アンコール王朝は東のチャンパ、西のアユタヤに挟撃され、衰退の一途を辿っていた。その状況を打開すべく、一人の王子が象の軍隊を率いて遠征に出かけ、トンレサップの湖畔でチャンパ軍と交戦する。王子はその頃アンコールの地で最も強かった「象の王」に乗って勇猛に戦ったが、苦闘の末、象の王を戦死させてしまう。敗戦を悟った王子は軍を退却させ、象の王の亡骸を埋葬するため、ロリュオス川の河口付近に大きな墳墓を設けた。その後、アンコール・トムがアユタヤによって陥落しアンコール王朝が滅ぶと、象の王の墳墓は人々に忘れられ、森に飲み込まれていった。
 三つ目の話は、さらに時が流れてフランス植民地時代である。土地を追われた人びとが新天地を求め、船でトンレサップを彷徨っていた。彼らは数週間に及ぶ航行の後、ロリュオス川の畔に小さな丘を見つけて上陸し、そこを中心に新しい村を築く。後にその村がコンポンプルック、クメール語で「象牙の港」という名で呼ばれるようになったのは、小さな丘の上に寺を建立した際、立派な象牙が出土したからである。
 老人たちの話の真偽は定かでないが、それらの言い伝えを紡ぎ合わせる事で、村の歴史がぼんやりと見えてきた。

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