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カンボジアクロマーマガジン27号

カンボジア特別法廷 ポル・ポト派裁判

[文] 木村 文 [制作] 安原 知佳

もう一つの意義

訴追の舞台となったS21(トゥールスレン虐殺博物館)=筆者撮影

訴追の舞台となったS21(トゥールスレン虐殺博物館)=筆者撮影

  モン・ナイ氏は一日半にわたって証言をした。最終日、裁判長はカン・ケック・イウ被告にこれまでの証言を聞いて感想を求めた。被告は証人に語りかけた。
 「証人の証言はよろしくない。どうか、真実を伝えてほしい。あなたはゾウを手さげカゴに入れて隠そうとしているのだ。できるわけがない。100万人以上がカンボジア共産党の手で死んだのだが、その党にはだれがいた? 私もあなたもその一部だったではないか」
 この言葉を受けて裁判長はモン・ナイ氏に異例の再質問をした。「証人は、今私たちに話したこと以上のことを知っているように見えます。付け加えることはありますか」
 モン・ナイ氏が、ふと顔を上げた。くぼんだ目が、法廷の明かりを受けて一瞬光った。モン・ナイ氏は声をふるわせて「とても残念です」と言った。犠牲となった知人家族、あの時代に死んだ妻子のことを考えると悲しい。「けれど、あまりにも混沌としていた。私たちはどうすることもできなかった」。それまでとはまったく違う、別人のような細く震える声。そこには人間らしい温かさが宿っていた。
 モン・ナイ氏が立ち去る前に、裁判長はお礼を言った。「人間の記憶というものには限界があります。たった数時間前のことでも忘れるものです。ましてや70代のあなたの記憶は薄れていても仕方ない。法廷に来てくれて感謝しています」
 モン・ナイ氏の証言は、多くの事実を裏付けられなかったという点で、明らかに内容が薄く、期待はずれだった。それなのに裁判長は温かい言葉で証言をしめくくった。証言の最後、モン・ナイ氏が閉じていた心を少しだけ開いたのを感じ取ったからだろうか。30年余りの間、1人きりで抱えてきた心の闇に、この法廷が小さな明かりをともしたのだろうか。裁判長は、それもまた法廷の意義と考えたのかもしれない。
 モン・ナイ氏が証人の一人として登場した「ケース1」のカン・ケック・イウ被告は、一審で禁固35年の有罪判決(2010年7月)、最高裁で終身刑の有罪判決(2012年2月)を受け、服役している。

 

木村 文(きむら あや)
1966年、群馬県高崎市生まれ、埼玉県育ち。国際基督教大学卒業後、米国留学。1992年朝日新聞に入社。山形、山口、沖縄、福岡で勤務後、2000年よりバンコクで特派員。以後、東はアフガニスタンから西はフィリピンまで、7年余りにわたり国際報道の現場を走り回った。2009年、一点にとどまりもっと深く社会を見つめたいと、朝日新聞を退社し、カンボジアに移住。フリーランス記者としてポル・ポト派特別法廷の取材などを続けている。

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