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カンボジアクロマーマガジン27号

カンボジア特別法廷 ポル・ポト派裁判

[文] 木村 文 [制作] 安原 知佳

無関心の闇

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証言するモン・ナイ氏=カンボジア特別法廷提供

 ではその裁判で何が語られているのか。多岐にわたる内容は、特別法廷のウエブサイトで法廷記録(トランスクリプト)を見ることができる(英文http://www.eccc.gov.kh/en)。膨大な量なので、ここではある日の公判での「ドラマ」をお伝えしたい。
 2012年7月13日、「第1ケース」の第43回公判。背中を丸めたモン・ナイ氏(76)=当時=が、証人として登場した。緑色のクロマーを首に巻き、指先のあいた手袋をしている。薄い白髪と、くぼんだ目。どこにでもいる弱々しい老人に見えた。
 モン・ナイ証人は前述のS21に収容された人々の尋問を担当していた。
 教員養成校をクラスの首席で卒業し、フランス語を流暢に話し、ベトナム語、英語も解するインテリだ。教師の賃上げ要求運動に参加したのをきっかけに革命運動に身を投じ、知り合いだったカン・ケック・イウ被告と行動を共にした。組織の中で重要な役割を与えられていたと推測され、尋問班の中心人物の1人だったとの証拠も示された。
 だがモン・ナイ氏は当時の自分の役割について「重要ではない囚人を尋問する担当だった」と強調した。
――尋問が終わると囚人たちはどうなったか
「よく知らない」
――S21にはいくつのユニット(班)があったか
「私は重要なポジションにいなかったので知らない」
――S21の建物について説明してほしい
「私はよく知らない」
――S21には全部で何人ぐらいが働いていたか
「私はそのことを知る地位にはなかった」
 淡々と、視線を上げずに答えを続けるモン・ナイ氏。質問に立った被害者の弁護人が、いらだって聞いた。「何も知ろうとせず、聞こうとせず、なぜそんなに知らないことが重要だったのか」。身じろぎもせずモン・ナイ氏が答えた。「私が何も知ろうとしないことは、共産党の方針にかなっていた。私たちは、他人のことを気にしてはいけなかった」
 「他人のことを気にしてはいけなかった」。この言葉は、別のS21の元スタッフの証言でも登場した。S21のスタッフは、厳しい規則で縛られ、すべては党上層部の意思によって動き、ただ馬のように扱われた。規則を破った者は、殺されるのを待つだけだった。
 S21の囚人たちを、チュンエック(「キリングフィールド」)と呼ばれる処刑場に連行したモン・ナイ氏とは別のスタッフが証言した。
「1日で100人ぐらいが処刑されたこともあり、そのときは午後9時ごろから始まって、夜中の2時すぎまでかかった。夜明け前までに処刑を終えるように言われ、とにかく急がされた。囚人たちは、大きく掘られた穴のふちに座らされ、頭をなぐられ、のどを切られた。まわりで何が起きているのかを見ている余裕はなかった」
 機械のように人間を殺していく。考えることも、ためらうことも許されない。犠牲者も含めて百数十人の人間がその場にいたというのに、そこに人間らしい感情が生まれる余地はなかった。チュンエックの集団処刑は、「他人のことを気にしてはいけない」システムが、行き着くところまで行き着いた姿を示していた。
 人間が、他人の苦しみに目も耳も心も閉じたとき、おそろしく閉鎖的なシステムが生まれる。無関心、無関与、ただ自分の足もとを見つめることだけが生き延びる道。私たちは今、似たようなシステムの入り口に立ってはいないだろうか。あと一歩で闇の中に陥ってしまう場所にいるのではないか。元スタッフたちの証言は、そんな問いを投げかける。

 

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