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カンボジアクロマーマガジン27号

カンボジア特別法廷 ポル・ポト派裁判

[文] 木村 文 [制作] 安原 知佳

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1975年、あなたは何歳だったろうか。

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カンボジア特別法廷の内部。客席のように見える部分が傍聴席で、法廷内部とはガラスで仕切られている=カンボジア特別法廷提供

 あなたが生まれる前なら、あなたの両親は何歳だっただろうか。1998年には、何歳だったろうか。どこで何をしていただろうか。
 カンボジア特別法廷のことを考えるとき、私はいつもこの問いから始めてほしいと考えている。1975年、ポル・ポト派が政権を握り、ポル・ポト時代が始まった年。3年8カ月と20日間で200万人近い人が命を落とした。1998年、91年に内戦が終結しても続いていたポル・ポト派の武装闘争が、最後の指導者タ・モク元参謀総長の逮捕により終焉した年。
 こう切り出すのは、ポル・ポト時代を、東南アジアの片隅に発生した特殊な人々による特殊な時代、ととらえて欲しくないからだ。当時の国際情勢はもちろん、人間の内面に潜む弱さ、狡さ、狂気、残虐さ――さまざまな要素が、不幸な連鎖を起こし「人類史上まれにみる犯罪」を起こしたのだ。
 特別法廷の「第1ケース」と呼ばれる裁判を2009年3月から現地で傍聴した。1日6時間、70回を超える公判の中で私が強く感じたのは、ポル・ポト時代が、人間社会に対する普遍的な警告をはらんでいるということだった。
 ポル・ポト時代、その後に続くカンボジア内戦の時代を、どうか自らの人生と重ねながら考えてみて欲しい。同じ時代を生きる者としてこの国の現代史を見つめたとき、それが自分たちとかけ離れた世界の出来事ではない、と気付いてもらえると思う。
 紙幅の関係で詳述はできないが、日本がこの特別法廷の予算の半分近くを援助しているという事実もぜひ知って欲しい。被告の高齢化、政治的な圧力、資金不足などの問題を抱えつつも、特別法廷が果たす役割は決して小さくはないと私は考える。

法廷の仕組み

  少し堅苦しい話になるが、まずは法廷の仕組みについて説明したい。
 
特別法廷は、カンボジアの国内法廷であり、国際法廷ではない。ただ、国内法に加えて国際法も適用し、判事や検察官ら司法官にはカンボジア人と外国人がおり、必ず共同で作業を行っている。つまり、国内法廷でありながら、国際法廷の標準を適用する、「ハイブリッド(混合)」法廷だ。
 具体的には、たとえば判事は、1審で5人、2審(最高裁)で7人いるが、それぞれカンボジア人が過半数を占めている。1審はニル・ノン裁判長ら3人のカンボジア人に、国際(外国人)判事が加わる。最高裁は、カンボジア人4人と、国際判事からなる。ただ、これで多数決にしてしまうと、カンボジア人判事だけの意見で結論が出てしまう可能性があるため、特別法廷では、「過半数プラス1」と呼ばれる方式をとっている。多数決で判断をするときは、最低でも国際判事のうちどちらかが同意しなければ成立しない、という方法だ。特別法廷では、捜査判事、検察官、弁護士などにも外国人が必ず加わっている。
 ハイブリッド法廷は、これまでにない新しい形であり、その意味で、あとに続く国際刑事裁判のモデルの一つともなる重要な役割を担っている。  また、特別法廷の特徴のひとつが、被害者の裁判参加だ。拷問や拘束など、ポル・ポト政権下で被害を受けた人は、「民事当事者」として裁判に参加し、被害について陳述したり、被告や証人に質問をしたり、補償を求めたりすることができる。補償といっても、金銭的な措置ではなく、たとえばモニュメントの建設など「集団的かつ象徴的」なものだ。被害者にとっては、被害を語る場を与えられることが補償の一つになり得るとの考え方もある。
 特別法廷が訴追の対象とするのは、「ポル・ポト派政権の最高幹部、または1975年4月17日から79年1月6日までの間に行なわれた深刻な人権侵害に最も重大な責任を負う者」だ。
 私が傍聴した「ケース1」は、S21と呼ばれるポル・ポト時代の政治犯収容所(現トゥールスレン虐殺博物館)のカン・ケック・イウ元所長(70)が被告だった。S21では、判明しているだけで12,000人以上がスパイ容疑などをかけられ、拷問の果てに殺害された。同被告は、殺人、拷問、人道に対する犯罪、戦争犯罪で起訴された。
 また現在、公判中で身柄拘束されているのは「ケース2」のヌオン・チア元人民代表議会議長(86)と、キュー・サムファン元幹部会議長(81)。ともに、生存する中ではポル・ポト時代の最高幹部だ。「ケース2」には4人の被告がいたが、2013年3月にイエン・サリ元副首相兼外相が87歳で死去、その妻でやはり被告のイエン・チリト元社会問題相(81)は、「認知症」と診断され2012年に身柄を釈放された。

 

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